「久しぶりです、お元気ですか?」。その問い掛けに受話器の向こうで、その若者頭は語尾のトーンを落として笑った。「おお、元気だよ。元気だけど、元気ないよ」。その気持ち、痛いほど分かる。経済活動が徐々に解除されつつあるとはいえ、当たり前の日常を取り戻すには当分、時間を要する。

幸いにも新型コロナウイルスには感染していない。だから表面的には元気。ただ、動きようにも動けないから「覇気」は薄れる。そんな、もどかしい思いで、高砂部屋の若者頭・伊予桜さんは続けた。「電車の乗り方も忘れちゃったよ」。外出自粛を忠実に守り、自宅のある埼玉・草加市内から出ない。“遠出”といえば1カ月前、都内の高砂部屋で抗体検査を受けに出たぐらい。それも公共交通機関は使えないため、タクシー通いだったという。

そんなもんもんとする日々が続く中、ささやかな“朗報”も…。「新弟子検査が決まった(13日)から久々に国技館に行けるんだよ。週末には部屋の土俵づくりも始まるからね」。声のトーンは明らかに違っていた。当たり前の日常が、少しばかり戻りそう。仕事仲間との3カ月ぶりの再会の日も近い。「人のいない時間を見計らって朝と晩、1時間半ぐらいウオーキングはしてるよ」。仕事柄、体力勝負は身に染みている。本場所再開の日を粛々と待つ。

丹精込めた土俵づくり。「力士が土俵に足を踏み入れた時、足の裏で『ああ、本場所が始まるんだな』と感じてくれれば、僕らもうれしいですね」。やはり高砂部屋の幕内呼び出し・利樹之丞さんは願いを込めて言う。土俵づくりは呼び出しの重要な仕事の一つ。通常、東京場所前に行うが、今年夏場所は中止。初場所は昨年末に行ったため、今年はまだやっていない。その土俵づくりについて6月下旬、日本相撲協会が各一門に対し、師匠の判断で許可する通達を出した。高砂部屋では今週末に土俵を一度、壊して作り直し、週明けに土俵祭りを行う。「うちも師匠の判断で、いつもの場所のペース、リズムを作ろうということになりました。通常の番付発表の直前に土俵を作って、土俵祭りをやって稽古始め。力士が感覚を取り戻してくれればいいですね」。

もどかしさもある。本場所と本場所の間で呼び出しは、太鼓の稽古を行う。喉が命の商売柄、声出しも。だが、それもままならない。若手の呼び出しが太鼓をたたけない現状に「エアで練習してるのかな…。外での声出しも、飛沫が…となると出来ないし。こんなに声を出さない日が続くなんて初めてですよ。(場所直前の)触れ太鼓も回れないだろうし。ある意味、ワーワー騒ぎながら勢いでこなすのが僕らの仕事ですからね…」。それでも裏方としての誇りは忘れない。「いつもの日常には、すぐには戻れないけど(本場所は)やれば出来ます。マスクをしながらでも土俵を作ります」。

両国まで約50キロ。1時間少々の東京・八王子に住む幕下行司・木村悟志さんは抗体検査の際、高砂部屋までレンタカーで往復した。「協会からはタクシー代が支給されますが、八王子は遠くて2万円以上かかりますから…」。さすがに往復約5万円は気が引ける。経費削減の涙ぐましい話だ。もちろん、外出はそれだけ。行司会からは、各自で出来る仕事を探すように、という通達が出て、自宅では封筒書きや「これをいい機会だと思って始めました。気を紛らわすのにもいいかなと思いまして」と、横綱から序ノ口まで全力士の出身地も入った、大判の番付の筆書きの練習も始めた。後援者らに番付や部屋便りの新聞などを送る封筒の宛名書きも、向こう数場所分を書き終えたという。

「毎日、通っていた部屋に行けない。変な感じです。外で声出しをしようにも、飛沫が…とか言われそれが相撲関係者だと言われるといけないので…。完全自粛です。でも、今は我慢してます」。いつの日か朝乃山の大関昇進披露パーティーや、高砂親方の停年の宴の案内状を発送する日が必ず来る。そうなれば封筒の宛名書きにも力が入る。そう信じて、今は耐える。

華やかなスポットライトが当たる力士だけでは、屋台骨は支えられない。舞台裏で、誰に頼るでもなく自前で成り立ってきた伝統がある。コロナの時代に向き合う裏方たちも、見えない敵と闘いながら難局を乗り切ろうとしている。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)