乃木坂46、4期生の林瑠奈です。



夏の心覚え。


あの夏、


私は明治神宮野球場で行われたライブを

配信で観ていた。


思い出という言い方をしないのは、

あれは確実に、

記憶ではない何かを

私の心に残したからである。


グループに加入し、

自分のいないライブを観るのは

初めてではなかった。


けれども、私にとって夏とは神宮、

神宮とは乃木坂で、

つまり夏というのは乃木坂なのだ。


暴論であることは間違いないけれど、

「夏とは乃木坂である」は

間違いなく一つのセオリーだと思っている。




あの夏、ライブを観たとき、

私は過去の、中学生だった頃の自分を

追体験しているようだった。


それは、このグループとの向き合い方が

対外的になっていることを示していて、


言い換えれば、ただ純粋に

応援する身として存在していた、

あの頃の自分の感覚を取り戻したということ。


忘れてしまっていたのか、

忘れようとしていたのか。


どちらにせよ、絶対にこの感覚は

今の自分でないと得られなかったと、

そう思った。


休んでいるうちにわかったことは、

私は自分の思っている以上に、

乃木坂を基盤として

生活していたということ。


私は自分のプライドの高さと、

そのくせ自己肯定感が

そこに釣り合っていないことを

自負しているのだが、


プライドが高い代わりに、

自分の理想や

追い求めるものへのクオリティも

高くありたいと思っている。


私には、自分の中で一貫して持っていたい

頑固さがあるのだ。


そしてそれを形成しているのは、

間違いなく、

乃木坂と対峙する自分が

根底にいるからである。


主語が大きくなることが

憚られる時代なので

明記はしないが、

少なくとも私は、

常に「乃木坂」という名前と戦っている。


その大きな名前に見合うだけの人に、

いったいいつになったら私はなれるのか。


見合うといっても、

集団を守ることも

個を出すことも正しい中で、

私は何を信じていけばいいんだろう。


そんなことを考える自分が

頑固な自分と共存している。


答えのない問いの解決は、

自分と折り合いをつけることでしかない。


突き詰めて考えることは、

裏を返せば視野が狭くなることで、

豊かな考えを持つ人間になれるわけでもない。


そんなときに神宮のライブを観たのだ。


あの頃とは

何もかもが変わっているはずなのに、

何もかもあの頃と同じ感情を覚えた。


今の乃木坂に順応している私と、

あの頃の乃木坂を見ていた私が、

本当の意味で交わった瞬間だと思う。


あの夏、

と言ってしまうほど、

この期間乃木坂を切り離して見ていたのは、


いかに私が乃木坂に心酔していたかと、

私の生活と乃木坂が

共にあったことの裏返しかもしれない。


夏の心覚え。


それは確かに生き続ける。

(ニッカンスポーツ・コム「乃木坂46林瑠奈 負けるな!しょげるな!乗り遅れるな!」)