血液がんの宮川花子「NGKで感謝の涙を」復活意欲

夫婦漫才の宮川大助(70)花子(65)の宮川花子が11日、大阪市内で会見し、血液のがんの一種である症候性多発性骨髄腫で闘病中であると明らかにした。会見には奈良県立医科大学付属病院の天野逸人担当医(58)も同席。化学療法で全身7カ所の腫瘍が消失し、入院当初はまひしていた両足の神経も戻り、リハビリ途中であるとも説明。復帰めどは未定だが「NGK(なんばグランド花月)に立って感謝の涙を流したい」と「大花漫才」復活へ強い意欲を示した。

   ◇   ◇   ◇

両足ともリハビリ途上の花子は車椅子姿。「昭和から平成に入って胃がん、平成から令和の今年またがんで…」と切りだした。

花子は昨年3月に腰痛で病院へ行き、第2、第5腰椎に腫瘍が発見。精密検査前には「別場所からの転移なら余命6カ月」の可能性も指摘されたが、骨腫瘍によるものと判明。放射線治療が奏功した。ただ、今年1月に定期検査の数値が悪く、天野担当医は、仕事と両立できるよう大阪市内の病院を紹介した。

抗がん剤治療による化学療法の副作用を説明されたが、花子は漫才への影響から「踏ん切りがつかなかった」。かつて胃がんを克服した花子だが、大助も「姿形が変わってしまうと、笑ってもらえん」と言い、迷い続けるうち、4月ごろから車椅子生活になり、6月には両足のしびれが進み、下半身不随となった。

6月24日に救急搬送されるまで5カ月が過ぎ、第3胸椎に7センチ、眼球付近に5センチと全身7カ所に腫瘍が広がり、即座に抗がん剤治療に。右目上腫瘍の影響で「右目の眼球が飛び出していた」(大助)という。

花子は「大助君が毎朝、来てカーテンを開けてくれるとき『起(生)きとかな』って、毎晩寝るのが怖かった」とも吐露。現在は腫瘍が消失し、足を動かせるまでに回復。自力歩行へ本格リハビリも始めた。復帰へ道筋が見え、会見を決意。花子には「私は漫才師、皆が笑えない会見はしたくない」との思いがあった。

花子は「首が回れへんのも腫瘍で骨が溶けてたから。そんなひどい状態、最初に聞いてたらあきらめてたかも」と言い、医師や大助らに感謝。大助から「嫁に2度目の恋をする。ここから大助花子の人生劇場」「俺を見送ってほしい」と言われ、大きくうなずいた。

結婚後にコンビを組み、大助は花子を「のどから血が出る」スパルタ稽古で仕込んだ。そして築き上げた“婦唱夫随”のスタイル。花子は、NGKのセンターマイクを目指して「半年ほどで歩けるように」。復帰への目標を掲げ「涙はNGKで流したい」と口にし、懸命に涙をこらえていた。

◆多発性骨髄腫 血液細胞の1つである形質細胞ががん化して異常に増え、役に立たないタンパク質を大量に作るなどして発症するがんの一種。正常な血液細胞が減少するため、貧血によるだるさや息切れのほか、頭痛や肺炎、骨がもろくなるなどの症状が出る。白血球が減少して免疫機能が低下し、感染症にかかりやすくなったり、血小板が減って、出血の際、血が止まりにくくなったりする。中高年で発症し、男性にやや多い。治療は薬物療法を中心に放射線療法、血液細胞を作り出す造血幹細胞の移植などがある。

◆宮川花子(本名・松下美智代)1954年(昭29)8月28日、大阪府生まれ。大阪府警を経て、74年ごろにチャンバラトリオに師事。大助は72年に宮川左近に入門。76年4月9日に結婚。79年に初舞台。87年に悲願の上方漫才大賞受賞。だが翌88年に花子が胃がんを患い手術。克服し復帰後、90年には2度目の上方漫才大賞、上方お笑い大賞とダブル受賞。大助も脳出血、腰部脊柱管狭窄(きょうさく)を乗り越え、夫妻で17年秋に紫綬褒章受章。1人娘の宮川さゆみもタレント。

その他の写真

  • 宮川花子が自ら描いた病状を説明するイラスト