【ロッテ・田中靖洋】イップス乗り越え「17年間悔いなし」/さよならプロ野球〈4〉

引退―。プロ野球選手にとって不可避の岐路は、新たな人生への「入団」でもあります。オフ恒例の大河企画「さよならプロ野球」で、青年たちの希望の光を追います。第4回はロッテ・田中靖洋編。

プロ野球

★1年目「球見るのが怖い」

西武で10年、ロッテで7年。長い現役生活を終えた田中靖洋さん(35)が、不意に告白した。

「4年間、僕、イップスだったんですよ。ボール投げれなくて。本当にボールを見るのが怖いくらいの精神状態の時もありましたし。つらい日々でしたね…4年間は」

◆田中靖洋(たなか・やすひろ)1987年(昭62)6月21日、石川県出身。加賀高から05年高校生ドラフト4位で西武に入団。10年に1軍デビューし、15年9月12日の日本ハム戦でプロ初勝利。16年オフに戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトを経て、ロッテの入団テストに合格。19年には中継ぎで44試合登板、4勝、防御率2・72と活躍した。兄の良平氏も元ロッテ投手。通算209試合登板で10勝9敗2セーブ、防御率3・81。183センチ、88キロ。右投げ右打ち。

加賀(石川)から05年高校生ドラフト4巡目で西武に入団。兆候は入団1年目から現れ始めた。「周りの選手もみんな知っていたはず」というほど、症状は悪化していった。

10メートル先を指して「あそこに投げろって言われますよね? 」と言ってから、ほぼ真上の天井を指す。「で、ここに当てます。床にも当てます」。

夜の日課になった。寮で食事をすると、夜な夜な西武第2球場の室内練習場へ。明かりをつける。1人でネットに向かって投げる。ひたすら、ひたすら。

「自分で言うのもなんですけど、その時一番ボール投げましたね。ずっと投げてましたね。もうほんと、室内で1人で。握りを変えたりはもちろんですし、あらゆることをやりました。あまりフォームは見たくなかったですね。自分の感覚だけを信じるというか」

西武伊東勤監督と新入団発表会見に臨む(前列左から)松永浩典、炭谷銀仁朗(後列左から)山本歩、西川純司、吉見太一、田沢由哉、田中靖洋=2005年12月14日

西武伊東勤監督と新入団発表会見に臨む(前列左から)松永浩典、炭谷銀仁朗(後列左から)山本歩、西川純司、吉見太一、田沢由哉、田中靖洋=2005年12月14日

悩んでいたのは田中だけではなかった。しかし。

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1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。