J1ベガルタ仙台は、東日本大震災から丸6年を迎えた11日に、神戸とホームのユアスタで復興応援試合を行った。敗れはしたが、節目の試合にふさわしい好ゲームとなった。途中出場したDF蜂須賀孝治(26)は仙台大出身。大2の春に被災した。特別な日に、特別な思いを胸にピッチに立った。

 「大事になっている感じはなかった」。あの日、蜂須賀はサッカー部のクラブハウスにいた。練習試合の1試合目を終えた後に揺れを感じた。クラブハウスがある宮城県・柴田町は最大震度5強の揺れに見舞われた。グラウンドの地面が割れて、周りの道路は水道管が破裂して水浸しになっていた。それでもサッカーに夢中な学生。2試合目が中止になったため空いたピッチで、居残りでシュート練習を40分ほどこなした。

 家に帰ると、地震の被害を実感した。「家の中がめちゃくちゃになっていた」。部員とともに、クラブハウスで一晩過ごした。翌朝以降、家の整理をしようとするも、「寒くて、電気もガスも止まっていた」。結局、4日ほどクラブハウスで生活した。

 部員との共同生活。スーパーマーケットの情報を収集し、手分けして食料を買い集めた。1つの部屋に集まって、食事をつくり、寝るときだけおのおの帰宅した。栃木県出身の蜂須賀は、関東方面に実家を持つ部員たちと車で避難することができた。ただ、「福島原発に近い人たちを置いていくしかなかった。そこが一番申し訳ないと思った」と、当時の苦しい心境を明かした。

 「仮設住宅で観戦する人も、テレビで見る人も、天国から観戦する人もいると思う。オーラを届けられるように頑張りたい」と臨んだ神戸戦。前半ベンチで試合を見つめながら、「こういう日だし、みんな少しかたいな」。後半開始直後に2連続失点して、劣勢になった同13分から出場。「攻撃するしかないという状況」と必死にサイドからクロスを上げて、シュートも放った。

 守備時には背後から仙台の大声援が聞こえてきた。「レッツゴー仙台と後押ししてくれた。それで恐れるなと、相手のDFに向かえたのかなと思います」。そうして見せた勇姿は、イレブンに勇気を与えていた。試合後、「まだ3戦だし、負けた時こそ、勝ったように振る舞う精神が必要」と、チームを鼓舞する発言もした。

 常に「復興のシンボル」として諦めない姿を見せることが仙台には課されている。15日のルヴァン杯1次リーグ初戦の東京戦には先発出場が濃厚。クラブがその役割を全うし続けるためにも、闘志あふれるプレーを期待したい。

 ◆秋吉裕介(あきよし・ゆうすけ)1993年(平5)6月28日、横浜市生まれ。早大卒業後、16年4月入社。同年11月から東北総局に異動して仙台担当。