サッカー現場発

スパイ、盗聴、尾行…平成の日本サッカー史こぼれ話

現在、日刊スポーツでは「平成とは」のタイトルで、平成時代のスポーツを振り返っている。その取材で普段はあまり取材しない人や10年以上も会っていない人の話を聞くことができた。紙面の都合上、本紙には載せられなかった話をいくつか紹介したい。20年以上が立ち、記憶から遠のいたものやまだ日の目を見ないネタ、または私だけが知らずに「へぇ~」と思ったことをいくつか。

W杯アジア最終予選の韓国戦を翌日に控えた日本・森孝慈監督(1985年10月25日撮影) 
W杯アジア最終予選の韓国戦を翌日に控えた日本・森孝慈監督(1985年10月25日撮影) 

日本のサッカー史は、昭和の沈滞期を乗り越え、平成で躍進期を迎えた。大躍進の口火を切ったのは、92年11月のアジア杯優勝。大正時代から国際Aマッチを戦った日本代表が、初めてアジアのチャンピオンに輝いた。今なら、サッカーファンのみならず、多くの人が熱狂する出来事だが、実はその時、日本はこの話題で盛り上がることはなかった。

サウジアラビアとの決勝戦(1-0)は8日の日曜日。この日は大相撲九州場所の初日で、日本は貴花田(のちに第65代横綱貴乃花)一色だった。場所直前に宮沢りえとの婚約を発表し、話題をさらった。当然、NHK地上波では大相撲、アジア杯の決勝戦はNHK BSで放送された。その後、Jリーグが開幕し、ジョホールバルの歓喜、W杯日韓大会など、サッカーの存在感は徐々に増してきた。

W杯招致は、まるでスパイ映画のようなこともあった。日本の招致委員会の会議室には定期的に盗聴器の検査が入った。FIFA(国際サッカー連盟)の会議などで、海外に行った際にも当然、盗聴器検査員が帯同した。ここ一番では会話ではなく、筆談をしたこともある。FIFAにW杯招致の申請種類には、招致委員会メンバー集合写真が入る。当然、韓国側は日本の全メンバーを把握しているが、その集合写真に載ったパートの女性、雑用係の職員と、ノーマークでもいいはずの2人が何者かに尾行されることもあった。

W杯大会期間中は、イングランドからスペシャル警察6人が派遣されて潜伏警備したという。フーリガンが世界中で暴れていて、国の威信を害することを悩んだ英国から「この6人は、後ろ姿を見ただけでフーリガンが判別できるスペシャルな警察です。ぜひイングランドの試合会場や周辺に配置させてほしい」と要請された。組織委員会が、警察庁と相談し、受け入れを決定した。

余談として昭和の話を1つ。今は故人となった森孝慈氏が日本代表監督だった85年4月。86年メキシコW杯アジア1次予選のため平壌(ピョンヤン)を訪れた。森氏は「ホテルのミーティングルームは盗聴されると思ったから重要なことはグラウンドで話し合った。ミーティングルームで“なんだ、せっかく平壌まで来たのに、焼き肉が出ないんじゃないか。せこいな”と大声ではしゃいだら、翌日のメニューが焼き肉だった」。偶然かもしれないが、平成の情報戦対策は、昭和から引き継がれていたのかもしれない。【盧載鎭】

◆盧載鎭(ノ・ゼジン) 1968年9月8日、ソウル生まれ。88年に来日し、96年入社。21年間サッカー担当、2年間相撲担当。次女の高校受験が終わったら今度は長女の大学受験と、受験地獄から抜けられない2児のパパ。

W杯アジア最終予選 イラン対日本 W杯出場を決めサポーターの声援に日の丸を掲げ応える岡田武史監督(1997年11月16日撮影) 
W杯アジア最終予選 イラン対日本 W杯出場を決めサポーターの声援に日の丸を掲げ応える岡田武史監督(1997年11月16日撮影) 

日刊スポーツのサッカー担当記者が取材現場の空気を熱く伝えます。

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