抑えていた感情があふれ出す。今月1日、東京・代々木第2体育館であったバドミントン全日本総合女子シングルス2回戦。リオデジャネイロ五輪銅メダルで昨年覇者の奥原希望(21=日本ユニシス)は右肩痛で途中棄権する。試合後の会見では「バドミントンができなくなるときが、また来るとは思っていなかった」と、大粒の涙をこぼし、声を詰まらせた。

 五輪後の9月、ヨネックス・オープンから右肩に痛みが発症。一時は腕が上げられないほどの痛みもあったが、世界ランクのポイントを維持するため、簡単に国際大会を欠場できない。病院での検査を中断し、リハビリを続けながら海外を転戦。日本最高峰で来年の代表選考のかかる全日本総合も、スマッシュを打たないなどの条件付きで強行出場した。所属の日本ユニシスの小宮山女子監督が「出られる状態ではなかった」と言うほどだった。


途中棄権した奥原希望は涙を流しながら会見する=2016年12月1日
途中棄権した奥原希望は涙を流しながら会見する=2016年12月1日

●生き様が皮肉にもケガを誘発


 先月13日、海外遠征前の成田空港で取材した。五輪後の不調を問うと「常に勝ち続けることを目指しているが、うまくいっていない。体の調子が上がってこない。歯車が合わない」と右肩痛のせいにはしない。取材後、日本代表の朴柱奉ヘッドコーチが「奥原は右肩が痛い」と教えてくれたが、本人は一切ケガに触れることはなかった。

 13年1月に左膝、14年4月に右膝の半月板を損傷している。156センチと、世界のトップ選手では小柄な肉体。小学生のときは足の皮がむけるまで縄跳びをしたり、足のすねが疲労骨折するまで試合に出続けた。「昔から手が抜けず、限界までやる」と父圭永さん。かつて「親の教えで、迷ったら厳しい方に行く。それが自分の生き様」と話したことがある。自らの生き様が皮肉にも、ケガを誘発させたのかもしれない。


リオ五輪で銅メダルを手に喜ぶ奥原。再びこの笑顔が見たい=2016年8月19日
リオ五輪で銅メダルを手に喜ぶ奥原。再びこの笑顔が見たい=2016年8月19日

●2度の両膝手術を乗り越えて


 全日本総合選手権で辛くも勝利した1回戦。スマッシュはもちろん、大きなクリアすらできない状況が明白になっても「痛いところあるが、みんな連戦で疲れやケガもある」とケガのせいにしない。右肩痛を聞かれると、認めながらも「ピークよりは良くなっている」と自らに言い聞かせるように言った。棄権後の会見になって、やっとケガのすべてを認めた。

 ケガを理由にするスポーツ選手は少なくない。それは決して悪いことではないし、ケガを隠すことで悪化させてしまうこともあるだろう。ただ奥原からは、ケガを理由にはしないという強い矜持を感じた。それは両膝の2度の手術を乗り越えてきたからなのだろう。156センチの21歳の女性が、ラケットを持つ侍に見えた。【田口潤】

 ◆田口潤 東京都出身、44歳。94年に入社して取材記者一筋。五輪、相撲、サッカー、ボクシング、プロレス、ゴルフ担当を経て現在は五輪担当。