4大大会ジュニア男子シングルスで、日本男子初の決勝進出を狙った望月慎太郎(16=Team YUKA)が敗れた。コダト(米国)に3-6、4-6のストレートで屈した。しかし、4大大会初挑戦で、日本男子として大会初の4強入りの快進撃は見事だった。

16歳になったばかりの逸材が準決勝で敗れた。相手の球の勢いに押され「相手の方が集中力が上だった」。同じ米国のIMGアカデミーの仲間で、お互いに手の内は知り尽くしていたが、「力が入った」と、大事な場面でミスが重なった。

日本テニス協会の盛田正明名誉顧問が設立した基金で、12歳の時に米IMGアカデミーに留学した。錦織と同じ道を歩み、今も錦織が拠点とする同所で、ともに練習することもある。「錦織さんの記録を早く抜きたい」。今大会も錦織の試合前の練習相手を務めた。

錦織のような軽やかなフットワークと緩急の出し入れが抜群だ。短めに滑る球を出し、相手を前掲させた後に後方へ速球を送る。すると、相手は前掲から後掲せざるを得ず、バランスが崩れてミスをしたり、取れなかったりする。「パワーではかなわない。頭を使ったプレーが持ち味」。配球のバランスが絶妙だ。

3歳で始めたテニスで、全国的なタイトルがあるわけではない。しかし、12歳で、盛田氏とIMGアカデミーの目に留まった。初の4大大会で「テニス面ではかなり通用することが分かった」。最高に近い4大大会デビューとなった。

名前の慎太郎は、父小太郎さんが、石原慎太郎氏から取ったという。望月が生まれた03年は石原氏が東京都知事として絶頂期だった。「天下取り」とも言われた石原氏の政治人生のように、望月はテニスの世界で天下を取る。【吉松忠弘】