【奇跡】素晴らしきかな人生 誤字発見から53年ぶり再会/夢幻のグローバル・リーグ

半世紀以上前に、海を渡って戦った侍たちがいた―。6月に「夢幻のグローバル・リーグ」と題し、1969年(昭44)にベネズエラで開かれた国際野球リーグに参加した東京ドラゴンズの群像を紹介しました。1枚の写真をきっかけに、当時のメンバー2人が53年ぶりの再会を果たしました。連載「祝! 野球伝来150年」の締めくくりにふさわしい、時空を超えて紡がれた縁に乾杯!

その他野球

この写真が2人を再び引き合わせた。前列右から2人目、吉田「宏之」の赤字を吉田忠之さん本人が発見。古川記者とコンタクトを取り、前列左の福井勉さんと再会することになった

この写真が2人を再び引き合わせた。前列右から2人目、吉田「宏之」の赤字を吉田忠之さん本人が発見。古川記者とコンタクトを取り、前列左の福井勉さんと再会することになった

「福井さんと連絡を取りたいのです」

幸い、読者から反響をいただいた。その1つが、ドラゴンズのあるメンバー本人からのもの。監督を務めた元中日の森徹さんの長女郁さんを通じ、連絡が来た。「吉田さんという方が、古川さん(記者)と話したいそうです。名前が『宏之』になっていたけど、正しくは『忠之』だと」。

しまった―。

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子どもの頃、平和台球場で見た情景がプロ野球観戦の原点。大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビアのセルビアやクロアチアの大使館に勤務したが、野球と縁遠い東欧で暮らしたことで、逆に野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。
その夏、斎藤佑樹の早実を担当。いきなり甲子園優勝に立ち会うも、筆力、取材力及ばず優勝原稿を書かせてもらえなかった。それがバネになったわけではないが、2013年楽天日本一の原稿を書けたのは幸せだった。
野球一筋に、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュアの担当を歴任。現在は侍ジャパンを担当しており、3月のWBCでは米・マイアミで世界一を見届けた。
好きなプロ野球選手は山本和範(カズ山本)。