「ゴースト」千賀滉大と「神様」杉下茂 開いた指に宿るフォークボーラーのロマン

メッツ入りした千賀滉大投手(30)のフォークボールに、熱い視線が注がれています。初登板した4月2日(日本時間3日)のマーリンズ戦から三振の山を築き、日本名の「お化けフォーク」は「ゴーストフォーク」と直訳されました。日本人フォークボーラーの歴史をたどると、杉下茂にまでさかのぼります。そのフォークは揺れながら落ちたといいます。70年をこえて引き継がれたボールは、逆輸入されても威力を発揮し続けているのです。

プロ野球

◆千賀滉大(せんが・こうだい)1993年(平5)1月30日生まれ、愛知県出身。蒲郡から10年育成ドラフト4位でソフトバンク入団。12年4月に支配下選手登録。16年から7年連続2桁勝利。19年9月6日ロッテ戦でノーヒットノーラン達成。19年のシーズン奪三振率11・33はプロ野球記録。19年最多奪三振、20年は最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振の3冠。17年WBC日本代表。21年東京五輪金メダル。22年オフに海外FA権を行使、メッツと5年総額7500万ドル(約105億円)で契約を結んだ。186センチ、92キロ。右投げ左打ち。既婚。


◆杉下茂(すぎした・しげる)1925年(大14)9月17日、東京都生まれ。帝京商―いすゞ自動車―明大専門部を経て49年中日入団。54年に32勝で球団初のリーグ優勝、日本一に貢献し、MVP、沢村賞、投手3冠。「フォークボールの神様」と呼ばれた。59、60年に中日監督を務めた後、61年大毎で現役復帰し同年引退。最多勝2度、最多奪三振2度、沢村賞3度。通算525試合、215勝123敗、防御率2・23。引退後は中日、阪神の監督、巨人、西武投手コーチなどを歴任。85年野球殿堂入り。右投げ右打ち。

1954年の日本シリーズ

千賀が初登板で披露した「ゴーストフォーク」のように、杉下が周囲の度肝を抜いた試合がある。1954年(昭29)の日本シリーズだった。

中日のエースは、第1戦から西鉄相手にフォークボールを見せつけた。初回、1番今久留主淳、2番豊田泰光、3番中西太を3者三振に切って取った。杉下は意識して投げたと語った。「天知さん(俊一監督)と話して、勝つためには(フォークボールを)投げなきゃいかんということになってね」。

1954年(昭29)の日本シリーズ第7戦、西鉄を1―0で完封し、中日を日本一に導いた杉下茂。精根尽き果て、涙ぐんでいる。シリーズ3勝でMVPを獲得=1954年11月7日、中日球場

1954年(昭29)の日本シリーズ第7戦、西鉄を1―0で完封し、中日を日本一に導いた杉下茂。精根尽き果て、涙ぐんでいる。シリーズ3勝でMVPを獲得=1954年11月7日、中日球場

球威十分の速球の合間に、得体の知れない変化球が来る。

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徳島・吉野川市出身。1974年入社。
プロ野球、アマチュア野球と幅広く取材を続けてきた。シーズンオフには、だじゃれを駆使しながら意外なデータやエピソードを紹介する連載「ヨネちゃんのおシャレ野球学」を執筆。
春夏甲子園ではコラム「ヨネタニーズ・ファイル」を担当した。