原監督と山口オーナーに直談判 宮本和知はなぜ巨人に女子チームを立ち上げたのか/前

巨人は2022年のシーズンから「読売ジャイアンツ女子チーム」を立ち上げました。初年度4人、今年新たに16人が加わり、本格的に活動を開始しています。初代監督は、球団OBの宮本和知氏、59歳。宮本氏こそ、伝統球団に初めて誕生した女子チームの生みの親でした。立ち上げに奔走した理由と、大きなヒントを与えてくれた家族の力に迫ります。2回連載でお届けします。写真は宮本監督夫人の奈緒子さんと次女の璃乃(りの)さん(宮本和知氏提供)。貴重なショットをありがとうございます。

野球

◆宮本和知(みやもと・かずとも)1964年(昭39)2月13日、山口県生まれ。下関工から川崎製鉄水島を経て84年ドラフト3位で巨人入団。97年に現役引退。通算成績は66勝62敗4セーブ、防御率3・60。引退後はタレントとしても活動し、明るいキャラクターで人気を博した。19年巨人にコーチとして復帰。22年球団社長付アドバイザー、今年から女子チーム監督に就任。

59歳、デー&ナイター

もう、200球は投げただろうか。

宮本監督は汗だくになりながら、選手たちに硬球を投げ込んだ。

7月7日、午前10時。東京・調布飛行場に隣接したグラウンドの気温はとうに30度を超えていた。肌を刺す太陽の光が痛い。

「2死三塁、行きま~す」

打撃投手を務める=2023年7月7日、沢田啓太郎撮影

打撃投手を務める=2023年7月7日、沢田啓太郎撮影

選手たちが自分で状況を設定し、大きな声で口にしてから、打つ。ヒット性の当たりが飛ぶと、宮本監督は「よ~し、サヨナラだ~」とおどけてみせた。

「練習のたびに投げてますよ。これくらいは、どうってことはない」

失礼ながら、来年2月で還暦を迎えるとは思えないほど、体が動く。

「大学生の選手たちは夜に練習をやるので、そこでも投げますよ。体力的にはしんどいけれど、心地よい疲労感というか。1軍のコーチをやっていたときと疲れの質が違いますね」

選手たちと一緒に野球をやるのが心底楽しい。そう見えた。

本格始動した読売ジャイアンツ女子チーム。最後列左端が宮本和知監督(読売巨人軍提供)

本格始動した読売ジャイアンツ女子チーム。最後列左端が宮本和知監督(読売巨人軍提供)

「ミヤは本気です」

2年前の11月。宮本監督(当時の肩書は球団社長付アドバイザー)は、東京・大手町の読売新聞ビルにいた。

原辰徳1軍監督とともに山口寿一オーナーのもとを訪れ、女子だけのチーム創設を訴えた。

2021年2月17日、沖縄・那覇

2021年2月17日、沖縄・那覇

「これからのプロ野球を支えるのは女子だと思います。ジャイアンツに女子チームをつくってください」

原監督が援護する。

「ミヤは本気です。私からもお願いします」

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。