「お嬢さま」と呼ばれる自分を変えたくてボートレーサーになった。女子ボートレーサーを紹介する「ビューティフル・ボートレース」。今回はお嬢さま学校として知られる名門・白百合女子大学からレーサーの道に進んだ富樫麗加(26=東京)を紹介する。親の猛反対を振り切り、今は充実した戦いの日々を送る。

名門女子大からボートレース界に飛び込み充実の日々を送る富樫麗加
名門女子大からボートレース界に飛び込み充実の日々を送る富樫麗加

 -ボートレーサーを目指したきっかけは

 富樫麗加 自宅が多摩川ボートに近くて、大学に入学してすぐ、たまたまお母さんと近くを通りかかったんです。すごく大きいエンジン音が聞こえてきて、これはただごとではないぞと思って、初めてボートレース場に入ってみたんです。ボートのことは全く知らなかったんですが、そこでレースの迫力、スピード、飛び散る水しぶきを見て「これしかない」と思いました。

白百合女子大在学中に級友と金沢を訪れた富樫麗加(左)
白百合女子大在学中に級友と金沢を訪れた富樫麗加(左)

 -父親は大反対

 富樫 私の家は父がすごく厳しくて、私が「大学を辞めてボートレーサーになる」と言ったらポカンとした顔をされました。結局、2カ月ほど大げんかしました。最後は父が折れて「せめて大学は卒業してくれ」と言うので、卒業を待ってやまと学校(ボートレーサー養成所)に行くということなったんです。でも、卒業の年になったらまた、父が大反対。「そんなにボートレーサーになりたいんだったら、誰でも知っている有名企業の内定を取ったら許してもいい」と言い出したんです。「だったら取ってやる!」と思って、某大手生命保険会社から内定をいただけたことで、やまと学校を受験することができました。就活していた時は本当につらかったから、受かった時はうれしかったですね。

白百合女子大の謝恩会で泥酔したふりをする(12年3月)
白百合女子大の謝恩会で泥酔したふりをする(12年3月)

 -名門女子大を卒業して、有名企業就職の内定も取った。それでもレーサーの道に進んだ

 富樫 “お嬢さま”とか、何も苦労しないで育ってきたというふうに見られるのがすごく嫌だった。小学校からずっと女子だけの学校で、どこかでそういう人生を変えたかったんです。悔いは全くないですね。

 -レーサーになって4年目。オフの過ごし方は

 富樫 自分はずっと無趣味だったので、休みの日もトレーニングのためにジムに通ってました。最近は友達と旅行に行ったりしますよ。つい最近も、沖縄の石垣島とか行きました。楽しかったです。時には気分転換も必要だと思いました。

沖縄・石垣島で海をバックに弾ける
沖縄・石垣島で海をバックに弾ける

 -ボートレースの魅力は

 富樫 自分が頑張った分だけ、結果が出るところです。私はボートレーサーになるまで競争の世界にいたことがなかったし、体力も自信がある方ではなかった。でも、ボートレーサーになりたいという気持ちはずっと変わりませんでした。そういう気持ちを持ち続ければ、きっと夢や願いはかなうと思ったし、自分もそれで強くなったと思うんです。信念を曲げないで頑張れば、結果は付いてくる、そんな気持ちで走ってる私たちを見てほしいですね。

※次回は10月12日更新予定

 ◆富樫麗加(とがし・れいか)1989年(平元)11月8日、東京都武蔵野市生まれ。白百合女子大学文学部フランス語フランス文学科卒業。ボートレース112期生として13年5月の平和島でデビュー。初1着は13年12月の平和島。昨年の獲得賞金は672万9000万円。今年は525万円(10日終了時点)。162センチ。血液型B。