大学サッカーの今季を締めくくる大一番、全日本大学サッカー選手権が12月22日に埼玉・浦和駒場スタジアムで行われ、明治大(明大)が桐蔭横浜大を延長戦の末に3-1で下し、10年ぶり3度目の栄冠を手にした。

明大対桐蔭横浜大 応援席の前で優勝杯を高々と掲げ、喜び合う佐藤亮主将(右端)ら明大の選手たち(撮影・狩俣裕三)
明大対桐蔭横浜大 応援席の前で優勝杯を高々と掲げ、喜び合う佐藤亮主将(右端)ら明大の選手たち(撮影・狩俣裕三)

試合は明大が優勢に試合を進めながら得点を奪えず、0-0のまま延長戦へと突入。延長戦では開始2分で桐蔭横浜大に先取点を奪われ、ピンチに陥った。だが闘争心に火が付いた明大の攻撃ギアが一段と上がった。

すぐさまPKを獲得して主将のFW佐藤亮(4年=FC東京ユース)の得点で追いつくと、続けてDF蓮川壮大(3年=FC東京ユース)が左サイドからドリブルで抜け出し逆転のゴール。さらに延長後半にMF森下龍矢(4年=ジュビロ磐田ユース)がクロスボールを左足のボレーで押し込み、駄目押しの3点目を奪った。明大は夏の総理大臣杯、関東大学リーグに続くシーズン3冠を達成し、天皇杯東京都予選、アミノバイタルカップ(総理大臣杯関東予選)も含めれば“5冠”という記録的な強さだった。

明大対桐蔭横浜大 延長前半、PKを決める明大FW佐藤亮(撮影・狩俣裕三)
明大対桐蔭横浜大 延長前半、PKを決める明大FW佐藤亮(撮影・狩俣裕三)

■PKのボールに込めた思い

この試合で印象的な場面があった。1点を追う状況でPKを獲得した。試合を左右する大事なプレーを前に、キッカーを託された主将の佐藤亮はボールに何かを念じた。その行動について、試合後こう説明した。

「4年間やってきた同期だったり、22年間育ててくれた家族であったり、そういう人たちの思いをあのボールに込めてボクが蹴りました。そういう人たちの思いを背負っていれば、絶対に決められると思っていたし、また、それだけの責任感を持って、あのボールを蹴るつもりでした」

澱(よど)みのないはっきりとした口調だった。佐藤亮は大会前日に右足首を捻挫するアクシデントに見舞われ、当初は大会への参加も危ぶまれていた。

「ケガをした直後、仲間が“つなごう”という言葉をかけてくれた。仲間の言葉を信じて、ここまでやってきた。正直ボクの大会ではなかったですが、仲間がつないでくれたので準決勝、決勝と最低限のことはやれたのかなと思います」

そんな背景を知ると、あのPKからさまざまな絆が見えてくる。大学で成長した点を問われた佐藤亮は「仲間の思いを背負ってプレーできるようになったところです」。熱くストレートな思いがこちらにも伝わってきた。

そう言えば…、数日前にも同じような発言を聞いた。準々決勝で明大に敗れた筑波大MF三笘薫(4年=川崎フロンターレユース)の言葉が脳裏によみがえった。U-22日本代表にも選出され、3年時に川崎F入りが内定した大学サッカー界を代表する選手だ。学生最後の試合を終え、4年間の成長を問われるとこう話していた。

「大学サッカーならではですが、いろんな人の支えがあってできたところ、感謝する気持ちが心から分かったので、そういうところは(これからも)ピッチの上で表現していきたいと思います」

川崎Fユース時代、トップチームへの昇格を断って筑波大へ進学した。サッカーだけでなく、さまざまな経験をすることで「考える力」を磨きたかったからだ。

「自分の中にはサッカーが少しうまければいいんじゃないか、というところがありましたし、結果を残せばいいと1年生の時は思っていました。でも、それだけじゃダメ。運営もそうですし、組織として、部活動のあり方もそうです。みんなが考えてくれて成り立っているんです。そこの一員としてサッカーだけじゃダメだなと思った。サッカー以外の部分でどれだけできるのかというのが、試されたのかなと思います」

語られた言葉はどれも謙虚で思慮深いものだった。

大学サッカーって何だろう? 明大佐藤亮、筑波大三笘の言葉を反芻(すう)し、そんな思いが浮かんだ。Jリーグでなく大学へ進むメリット、その価値とは? 図らずも三笘が「大学で影響を受けた」と語っていた筑波大の小井土正亮監督の姿を見つけ、その答えを探るべく質問をぶつけた。

明大対桐蔭横浜大 延長前半、ゴールを決め、雄たけびを上げ、喜び合う明大DF蓮川(右から2人目)(撮影・狩俣裕三)
明大対桐蔭横浜大 延長前半、ゴールを決め、雄たけびを上げ、喜び合う明大DF蓮川(右から2人目)(撮影・狩俣裕三)

■4年という時間で立てる道筋

-指導する上で大学サッカーって、プロとは何が異なりますか?

「プロは1年勝負だけど、大学は4年間ある。4年後をイメージしながら1、2年生のうちから接することができるので、プロよりも人としての部分で成長を促しながら、プレーヤーとしてもよくしていくという道筋が立てやすい。4年という時間で考えられるのは圧倒的に違うなと思います」

-三笘選手は高校卒業後にプロ入りを断って大学に進学しました。大学に進む良さって何ですか?

「筑波の場合、推薦でプロになりたいって入ってくる子だけじゃなく、自分はすごく下手だけどチームのために貢献したいと一生懸命やってくれる同期や、先輩、後輩がいる。プロはそれぞれ個人事業主で選手、コーチ、トレーナーどれもプロフェッショナル。そういうお互いがプロという中でドライにやるのとは別に、大学は“俺はどうやって将来生きていくんだろうか”と、もがいている仲間が近くにいる。まったく違う環境です。三笘は最後の退団式で“俺は(チームを勝たせることができず)自分のことしかできなかったけど、仲間に助けられたし、周りにまで気を使える仲間のことをすごいと思っている”とみんなの前で話しました。そういうのに気づけたのは、大学に来たからこそだと思う。いろんなヤツが仲間にいますから」

将来の日本代表入りを目標とする三笘に対し、小井土監督は「3年間でやり尽くせば、4年目はフロンターレでやってもいい」と伝えていた。だが「まだやれていないし、筑波でもう1年やります」と最後まで大学でのプレーを選んだ。自分を高められる糧があるからこその決断だったのだろう。

筑波大MF三笘は準々決勝敗退にショックを隠せず
筑波大MF三笘は準々決勝敗退にショックを隠せず

■プレー指導に卒論もチェック

小井土監督は筑波大卒業後、大学院で学びながら水戸ホーリーホックでプレーし、指導者としては清水エスパルス、ガンバ大阪などでコーチを経験した。今は筑波大の教員(コーチ学)という立場でもある。

-小井土監督自身、いろんな立場を知るからこそ的確な助言ができるのでは

「プロのトップが求められることも見てきているので、それを要求できるのは自分の強みだと思います。ただ頑張れじゃなくて、お前が行く世界はこういう世界だから、それができるようにならないと食べていけないぞと。身をもって分かっているので。あとはプロコーチじゃなく教員なので、三笘ら学生の卒論をチェックする時間もあるので。教員と学生だからこそできる話もある。ピッチの中だけだったら、なかなかできないこともあるし、そこは教育としてのいいあり方だと思います」

-大学を出てから日本代表を目指すことは遠回りにはならないですか?

「全然遠回りじゃなくて、こういうルートもある。選手にとっては幸せなことだと思います。とは言っても、日本代表になることが人生の目的でもないですから。その先にどういう人生を送るか。4年間でいろんな経験をして、どうやって生きていくんだろうって。選手をやめた後のことを考える時間になっていると思う。そういう意味では、人生を大きく長く見た時に(大学は)すごく有益な時間になっている人の方が多いんじゃないかな。遠回りしたと思う人はあまりいないんじゃないですか」

そして穏やかな表情でこう付け足した。

「(大学は)プロサッカー選手の養成機関じゃなく、人をつくる組織ですから。各大学のカラーもありますが、関わっている指導者の方々は親身になってエネルギーを注いでやっています。リスペクトできる仲間たちですし、いい環境だなと思います」

大学とは、社会に出る前に人としての磨きをかけるモラトリアム(準備期間)にある。学ぶことでより多くの視座を持ち、物事を考察する力もついてくる。そこへ同じ釜の飯を食う仲間や指導者も介在してくる。悩み、もがき、励まし合う。連帯感は強まり、その中で自分はどうあるべきか、定まってくるだろう。心が整えば同時に人間性も高まる。それはサッカーのみならず、人生をも豊かにしてくれるものだ。そういう狙いこそ、大学サッカーが目指すところなのであろう。

かけがえのない4年という時間、そこで得た多くの副産物を手に社会へと飛び出していく。おごらず、衒(てら)わず、それぞれが思うそれぞれの道を突き進んでほしい。【佐藤隆志】(ニッカンスポーツコム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)