天国まで届け-。1次リーグ敗退に終わったリオデジャネイロ五輪のサッカー代表。残念な結果となってしまったが、今大会に人一倍強い思いを持って臨んでいたのが、メンバー最年少のG大阪MF井手口陽介(19)だ。1次リーグでは第2戦のコロンビア戦に先発し、第3戦スウェーデン戦で途中出場。念願の五輪のピッチ。井手口にはプレーする姿を見せたかった人がいた。

 昨年末、中学で同学年だった夏海さん(20)と結婚。今年6月17日には長女愛希(ひなの)ちゃんが誕生した。幸せいっぱい。しかし、19歳で人生において大きな決断を下したのには理由があった。

 井手口は中学1年の時、福岡からG大阪ジュニアユースに入団するため大阪市平野区に引っ越してきた。自分の家からわずか約400メートルのところに住んでいたのが夏海さん。井手口は「中学の時はあんまり好きじゃなかった。うるさかったし、ワーワー言ってる女の子、好きじゃなかった」と笑う。「高校なってからみんなで遊び始めて。だんだん2人で遊ぶようになった。2人でいて落ち着くところがいいかな」。そんな夏海さんと昨年から交際を始めた。

 しかし、若い2人に悲劇が訪れた。夏海さんの母が膵臓(すいぞう)がんを患い、余命半年と宣告された。実は2年前、夏海さんは父もがんで亡くしていた。残される夏海さんの思い、そして残してしまう義母の思い。2人の気持ちを考えて井手口は決断した。

 「もうはよ(早く)、俺らが結婚して(2人を)安心させるというか。僕がいきなりプロポーズしました」

 この人を支えたい。そう感じた井手口の脳裏に、ある時の光景が広がった。井手口が高校2年になった春のことだった。当時、G大阪ユースで将来を有望視されていた井手口は、いわゆる反抗期。「何で寮に入らなあかんねん、何でみんなと一緒に学校行かなあかんねんという感じ」。学校に遅刻したり、寮の門限を破ったりしていた。母亜紀子さん(49)に注意されても、全く耳を貸さなかった。

 しかし、1本の電話が井手口を変えた。母からだった。

 「母さん、大きな病気にかかってしまってん。入院して、手術しないと」

 目の前が真っ暗になった。自分が心配を掛けたからではないか。自らを責めて、責めて、責め続けた。そして「自分が早くプロになって恩返しする」という結論に至った。

 「手術の日も病院に来てくれて、久しぶりに陽介との時間を過ごした。練習はあったけど、病院にもよくお見舞いに来てくれた。おかげで私も元気になることができた」と亜紀子さん。井手口は家族を失うかもしれないという不安、怖さを知った。だからこそ、夏海さんも、母も、義母も、自分の手で幸せにすると誓った。

 昨年10月。入院中の義母に結婚の報告に行った。「娘さんを下さい」。義母からは「頼むな」と託された。そして、今年3月。義母は帰らぬ人となった。19歳のMFには、よりいっそうの責任感が生まれた。「人のためにやるっていう方が、やっぱ自分的には頑張れる。力にもなる」。五輪では結果が出せなかった。それでも、笑顔にしたい人たちがいる限り、井手口のサッカー人生は続いていく。【小杉舞】


 ◆小杉舞(こすぎ・まい)1990年(平2)6月21日、奈良市生まれ。大阪教育大を卒業し、14年に大阪本社に入社。1年目の同年11月からサッカー担当。今季の担当はG大阪など関西圏クラブ。五輪を見ていて寝不足も、甲子園球場での売り子時代に培った体力が生きています。