クリスマスイブは、プノンペンの空港で過ごした。出発した日本は寒く、ダウンコートの下に何枚も厚手のシャツを着込んでいたが、到着した現地は気温30度超。だらだらと汗が流れてきた。たくさんの人でごった返す到着ロビーには、常夏のカンボジアには不似合いな雪をかぶったクリスマスツリーが飾ってあった。

 2泊4日の海外出張。狙いは現地でサッカー教室を開く、日本代表FW本田圭佑(30)の取材だった。正直、ここまで苦戦するとは想像もしていなかった。プノンペンに着いた時点で早くも本田の予定が変わり、国内線の飛行機をキャンセル。格安便を予約したから、返金はない。予定していた街に行かなくなったのだから、ホテル代も無駄になった。「ああ、会社に何て報告したらいいんだ」…。イヴだっていうのに、ため息ばかりが出てきた。

 そもそも本田の取材は簡単ではない。そう多くはないチャンスで、本人をつかまえてインタビューを取る。ACミラン退団の情報も出ているから当然、移籍の取材も進めなければいけない。空港の片隅にある食堂に入り、東南アジア名物のフォー(米粉麺)をすすりながら、どこで肉声をとるか1人作戦を練る。その日は夜の便でシェムリアップに移動。本田と同じ飛行機だったが事務所スタッフのガードが堅く、あいさつをした程度で1日を終えた。

 2日目。経営者の側面も持つ本田は、シェムリアップ・アンコールFCのクラブ経営に乗り出すために、朝から街を慌ただしく動いた。私にとってはこの日が勝負。宿泊したホテル職員に話を聞くと、この町には空港にしかタクシーがないという。仕方なくトゥクトゥク(バイク式三輪タクシー)を1日20ドル(約2300円)でチャーター。だが、この運転手が使えないヤツだった。ある意味、この運転手でなければ、取材はもっと有意義だっただろう。

 朝8時。スタジアム視察をする本田を追いかけた。トゥクトゥクの時速は30キロほど。30分走っても、まだスタジアムは見えてこない。英語で話しかけても、返ってくるのは「任せておけ」というような笑顔だけ。40分が過ぎ、さすがに不安になり、路肩に止めてもらい、地図を広げて見せる。するとその運転手は「俺、場所が分からないんだよね」みたいな表情で、手を広げた。取材の時間は迫っている。けれど、海外取材にこんなことは付きものだ。慌てても仕方がない。

 午前9時前だ。まだ余裕があった。本田が訪れるはずの、アンコールワットに先回りしておけばいい。スタジアムに行くのは諦め、運転手に「OK。アンコールワットに行ってくれ」と伝えた。さすがに世界遺産への行き方が分からないということはないだろう。早い時間にアンコールワットに到着。運転手は昼寝をして待っておくという。

 だがやはり、本田取材は甘くはない。アンコールワットに到着する時間になっても、姿が見えない。警備員に聞くと、入り口は複数あり「反対側から入ったぞ」という。広大な敷地。車で急いでも10分はかかりそうだ。すぐに移動しようと運転手を探したが、どこにもいない。電話をかけると「アイスクリームを食べているから、10分待ってくれ」とのんきなことを言うではないか。「すぐに来てくれ」と頼んでも、来るはずもない。15分ほど待ち、現れた運転手に「反対側にある東の入り口に行ってくれ」と急がせた。

 時速30キロほどでトゥクトゥクが走る。すると反対車線に、パトカー先導で猛スピードで走る高級車があった。まさか…。すれ違う車の後部座席を見ると、金髪の男。本田だった。

 そう、間に合わなかったのだ。余裕を持って先回りしていたはずなのに。絶望感に襲われたが、ここで諦めたら仕事にならない。次に訪れる場所を突き止め、追いかけようと運転手に場所を伝えると、想定外のことを言ってきた。

 「今すぐ30ドルを払ってくれ。払うまでは動かない」

 20ドルで1日チャーターのはず。何を言っているのだ。だが彼の主張はこうだ。

 「アンコールワットで2カ所の入り口に行くとは聞いていない。追加料金だ」

 そうかそうか。そういう考えも、あるのか。こちらも海外出張の経験は豊富。こんなことは慣れっこである。それなら、こっちは1円も払わない。それを身ぶり手ぶりで伝えると、折れたのは運転手の方だった。仕方なくトゥクトゥクが走りだす。だが、明らかにやる気がなさそうだ。途中で止まると「腹が減った。昼飯をおごってくれ」。私が聞く耳を持たずにいると、運転席で昼寝を始めた。

 この運転手では、有意義な取材はできなさそうだ。納得はいかなかったが、約束通り20ドルは支払い、この運転手を“解雇”。そういえば、本田も昔、「いいヤツだけど使えない」と代理人をクビにしたことがあったな。

 今度は忠実さと、やる気を兼ね備えた運転手を探し出して再契約。20代と思われる、2番目の運転手は優秀だった。50キロほどの猛スピードで街中を走る。パトカー先導の本田の車を見つけると、追いすがった。ついに、一時停車していた車に追いつく。トゥクトゥクで追いかけてくる新聞記者に、本田も気づいたようだった。だからといって、車から降りて取材に応じてくれるはずもないのだが…。

 そんな記者をあざ笑うかのように帰国後、同僚記者に本田は「益子さん、頑張ってたで」と漏らしたのだとか。本田の取材は大変だが、トゥクトゥクの運転手との交渉はもっと大変だと思い知らされた2泊4日の珍道中。本当はこんな“旅行記”ではなく、熱のこもったインタビューをお届けしたかった。【益子浩一】


 ◆益子浩一(ましこ・こういち)1975年(昭50)4月18日、茨城県日立市生まれ。00年大阪本社入社。04年からサッカー担当。