下馬評の低かった西野ジャパンが、決勝トーナメント進出に王手をかけた。4年前に比べて期待値も高くなかっただけに驚きだ。ノープレッシャーで持てる力を出し尽くしてもらいたい。

 その日本代表が、W杯本戦へ向けた最後の親善試合でパラグアイに逆転勝ちした翌日、仙台市で開幕したU-16インターナショナルドリーム杯を取材した。対戦相手はくしくもパラグアイ。兄貴分に続けと初戦でぶつかったが、こちらは2-3で敗れ、世界レベルとの差を痛感させられた。前回大会の覇者でもあった日本はその後、セネガル、スペイン代表にも敗れ1勝もできずに終わった。

 またもやパラグアイの底力を見せつけられた。19年前のほろ苦い記憶がよみがえった。99年にパララグアイの首都アスンシオンで行われた南米選手権(コパ・アメリカ)。招待出場の日本はグループリーグで1分け2敗で敗退し、南米サッカーの洗礼を浴びた。初戦のパラグアイ戦では、弱冠17歳のFWロケ・サンタ・クルスに2ゴールを奪われるなど、0-4と完敗した。歴史ある大会に殴り込みをかけた日本代表の歓喜の瞬間を抑えようと同行取材したが、最後までシャッターチャンスは訪れることはなかった。

 パラグアイ戦で時計の針を巻き戻していた指導者が、もう2人いた。パラグアイ代表のカルロス・パルデス監督(41)と日本代表の斉藤俊秀コーチ(45)だ。この2人こそ、エスターディオ・ディフェンソーレス・デル・チャコで戦った張本人であった。2人は前夜祭の夕食会場で再会。当時中盤選手で、W杯に3度の出場経験があるパルデス監督は「斎藤コーチが声をかけてきてくれたんだ。長い年月を経て、過去に戦った選手と再び引き合わされるのがサッカー。これがサッカーのマヒア(MAGIA=スペイン語で魔法の意)なのだ」と。

 トルシエジャパンの新鋭DFとしてピッチに立った斎藤コーチは、次のように語った。

 斎藤コーチ アスンシオンで0-4で敗れ、厳しいアウェーの洗礼をナマで体験できたことは大きかった。堅守速攻スタイルですきを見せると、カウンターを仕掛けてくる。組織力、1人1人がチームに強いロイヤルティー(忠誠)を持って戦ってくる。地球の真裏に行って、歴史ある大会に出られたことは大きな経験だった。私が軽はずみなことは言うべきでないが、招待も受けているなら参加すべきだと思う。あのような経験はかけがえのない財産になるし、選手の成長につながる。

 当時のNHKアナウンサーは「日本の最終ラインはサンドバッグ状態」と表現するほど、波状攻撃にさらされた。ブラジル、アルゼンチンなどの南米の強豪国が名誉をかけて、ガチンコでしのぎを削りあうコパアメリカ。今後、南米サッカー連盟から招待状が届いたら、ちゅうちょなく手を挙げるべきだ。

 日本よりやや大きい国土に人口630万人が生活する農業国のパラグアイだが、W杯に出場するためには予選でブラジル、アルゼンチンとの厳しい戦いは避けられない。お家芸の堅守速攻サッカーは、長く厳しい戦いの軌跡の中で、じっくりと培養されてきた術なのだ。

 パルデス監督 日本のレベルが一気にグッと急に良くなったとは思えませんが、日本人の長所である勤勉性や協調性は素晴らしいものがある。99年から今に至るまで、少しずつだが強くなっている印象がある。我々パラグアイの特徴は、常に兵士のような強い気持ちを持って走り続けること。そこで負けてしまっては強豪チームを抑えることはできない。それは長い歴史の中で積み重ねてきた戦う術なのです。日本が伸び悩んでいる? 日本が世界の強豪レベルに到達するのもそう遠くないと思うが、悩むことは1つのステップ。悩み続けることで、道は切り開かれていくと思っています。

 アスンシオンの衝撃から20年近くが経過したが、日本の「かけがえのない術」とは、いったい何なのだろうかと考えさせられた。

 ◆下田雄一(しもだ・ゆういち) 1969年(昭43)3月19日、東京都生まれ。92年に入社し写真部に配属。スポーツではアトランタ、長野、シドニー五輪などを撮影取材。17年4月に2度目の東北総局配属となり、11月から仙台を担当。