「もう誰も泣かせたくない」-。15年12月31日、駒沢陸上競技場。U-21日本代表FW岩崎悠人(20=京都サンガ)が、京都橘高2年の時、全国高校サッカー選手権1回戦で敗れた試合後につぶやいた言葉だ。現在開催されているアジア大会で森保ジャパンの主軸。大会4得点という大車輪の活躍で決勝進出まで導いた。何か肩の荷が下りたような、吹っ切れたような、生き生きとした姿に胸を打たれた。

岩崎は、高1で既に主力として選手権に出場。8強進出に貢献していた。だが、エースとして期待を受けた高2では初戦で敗退。岩崎自身、ゴールを決めることはできなかった。

全国有数の強豪として知れ渡りつつあった京都橘。選手権の成績も岩崎が1年時の8強の前年は4強、さらにその前年は準優勝だった。知らぬ間に感じていたエースの重圧。岩崎は初戦敗退に終わってしまった現実に対して、自らを責めた。だからこそ出た「誰も泣かせたくない」という言葉。敗戦に涙する仲間を見てつぶやいた言葉は、私自身強烈に印象に残った。

翌年、3年では超高校級ストライカーとして注目を浴び、全国の舞台に戻ってきた。主将になった岩崎は少し変わっていた。Bチーム、Cチームの選手にまじって居残り練習をするなど、周囲に細かく気を配る主将のことを仲間は信頼しないはずがない。2トップを組んでいた岩崎の親友FW堤原翼(2年=京産大)は「悠人はすごく周りを見てる」と話していた。だからこそ、仲間は岩崎を助けた。周囲の支えの大切さを身に染みて感じた岩崎は、1人で背負い込むことをやめた。

高卒でプロ入り。だが、鳴り物入りで入団した京都では、また少し苦労した。周りを生かすプレーに特化し、代表でも昨年6月のU-20W杯で無得点。大会後「自分で全部仕掛けて、行っちゃうくらいのアグレッシブさを出せるようになりたい」と、悔しさを押し殺してエゴの無さを反省した。森保ジャパン初の公式戦となった今年1月のU-23アジア選手権中国大会でも、ノーゴール。慣れないシャドーの位置でのプレーに戸惑った。

周りを生かしながらも自分のエゴを出す。課題はそこだった。岩崎の献身的なプレー、豊富な運動量は必ず結果として返ってくるはず。高校時代も仲間の支えがあって変わることができたから。今大会、岩崎はゴールした。自分を信じて、周囲を信じて前を向いた結果だ。2得点した準々決勝のサウジアラビア戦後「今は自分でゴールに向かえている。そこは成長かなと思う」と話した。確かな成長の証しは自信になった。

岩崎はまた重圧も背負うだろう。壁にぶち当たるだろう。それでも必ず乗り越えられる。「もう誰も泣かしたくない」-。2年後の東京五輪、4年後のW杯カタール大会に向けて、誰も泣かさないエースへと成長していくはずだ。【小杉舞】

◆小杉舞(こすぎ・まい)1990年(平2)6月21日、奈良市生まれ。大阪教育大を卒業し、14年に大阪本社に入社。1年目の同11月から西日本サッカー担当。担当クラブはガンバ大阪やヴィッセル神戸、サンフレッチェ広島、名古屋グランパス、J2京都など。14年度から4大会連続で高校サッカー担当で、担当校は京都橘など近畿圏や関西全般。