川崎フロンターレのMF斎藤学(29)が取り組む「まなぶ夢プロジェクト」をご存じだろうか。サッカー選手がオフシーズンを利用してサッカー教室などを開催したり、学校などに招かれて講演したりすることはよくある。この「まなぶ夢プロジェクト」は長期的視点をもってサッカーだけでなく、さまざまな観点の講座を用意して子どもの成長を助ける教育事業だ。

まなぶ夢プロジェクトの「オフピッチスクール」で自身のキャリアについて話す川崎Fの斎藤学(撮影・佐藤成)
まなぶ夢プロジェクトの「オフピッチスクール」で自身のキャリアについて話す川崎Fの斎藤学(撮影・佐藤成)

■経験談に栄養講座も

今回は「オフザピッチスクール」と題して今月11日、13日の2日間に渡って斎藤の経験談などを話すパート、管理栄養士川端理香さんを招いた栄養講座のパートの2パートを合わせて行った。参加者は川崎市在住の小学生とその保護者で、2日間で20人だった。

13日にオランダ1部フィテッセMF本田圭佑(33)が最高経営責任者(CEO)を務めるNow Do株式会社が、新規事業にテニスの錦織圭(29)やゴルフの石川遼(28)といった一流アスリートから出資を受けたことを発表したように、現役アスリートが“本業”に並行して社会的な活動に取り組む事例が増えている。

斎藤は「これまで必死にサッカーの上達を目指してきた中で、栄養学や心理学、フィットネスなどサッカー以外の事から多くを学んできた結果として、今の自分がある。子どもたちにも、何かを学ぶ機会を作りたかった。教育事業の一環として捉えています」とプロジェクトについて語った。

管理栄養士の栄養講座を組み込んだことについて「自分も大切にしてきた。栄養は1番身近で頭に入りやすいかなと思いました。サッカーだけでなく人としての健康管理にもつながっていくと思うので、子どもや親御さんにとっては初めて聞くことばかりだと思う。今日聞いたことを1つ2つでも続けていってくれればいいなと、何かに気づく、きっかけ作りになれば」と意図を説明した。

経験談を話すパートでは折れ線グラフを使って自身のキャリアを説明。「炭酸やお菓子は一切食べなかった」など参加した子どもたちと同じ頃の経験を伝えたうえで五輪、W杯に出場した際の思いなどをリアルに語り「どれだけ今を積み重ねて未来を作るかが大切。嫌なことでも努力を積み重ねて欲しい」と訴えた。

ただ自分のキャリアを木訥と語るのではなく、子どもたちに意見を求めたり、質問を求めたりしていたのが印象的だった。子どもたちは「斎藤学選手と話した」という経験とともに、緊張する中で自分の意見を表明するという経験も積んでいた。子どもたちは1番最初に行った自己紹介の時よりも最後の質問タイムでは明らかに大きな声で自信を持って言葉を発していた。わずかな時間でも子どもたちの成長が感じられた。

まなぶ夢プロジェクトの「オフピッチスクール」で話す川崎Fの斎藤学(撮影・佐藤成)
まなぶ夢プロジェクトの「オフピッチスクール」で話す川崎Fの斎藤学(撮影・佐藤成)

■行動しないと始まらない

「オフザピッチスクール」を終えて斎藤は「楽しかったです。子どもたち、親御さんの反応が2日間で全然違いました。何かをしたいと思ってもまずは始めるという行動をしないと何も始まらない。改めて行動してみて良かったと思いました」と振り返った。

まなぶ夢プロジェクトのこれからについて「今後は栄養だけでなくてトレーニング理論や、心理学にも広げて行けたらいいなと思います。あとは自分だけでなく、サッカー選手や、違う競技のアスリートだったり。いろんなアスリートがどのように夢と目標を達成したのかを話してもらういい機会になれば」と展望を語った。

SNSの時代にあって、プロサッカー選手は本業で結果が出なければすぐ批判にさらされる。「サッカーに集中しろ」といった声があるかもしれない。それでもサッカー以外にも興味があっていい。アスリートがそれぞれの興味関心に基づき、自分の“価値”をうまく利用して思いを発信し、行動していってほしい。斎藤の地元川崎に貢献したいという思いや、未来を担う子どもたちへの期待感が原動力となり、「まなぶ夢プロジェクト」は動いていく。

余談だが、質問タイムでは斎藤が「憧れていた選手はシェフチェンコ(ウクライナ)、ボバン(クロアチア)」「深夜の海外サッカー番組をビデオテープがすり切れるほどみていた」と答えて、子どもが「ポカーン」とする場面も。斎藤とほぼ同世代の私は大きくうなずいてメモを走らせたが…、ジェネレーションギャップを感じずにはいられなかった。

「まなぶ夢プロジェクト」の次回の講座は未定だが、斎藤自身のツイッターなどで情報を配信していく予定だ。【佐藤成】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)

◆佐藤成(さとう・せい)東京都出身、19年入社の26歳。小学2年からサッカーを始め、東京学芸大蹴球部に所属。教師としてサッカー指導者を志すも、急な方向転換で日刊スポーツ新聞社に入社。文化社会部で芸能担当。