J2V・ファーレン長崎由来のチャント(応援歌)が、甲子園球場で鳴り響いた。

今夏の全国高校野球選手権。下関国際(山口)が優勝候補の大阪桐蔭、近江(滋賀)を連破する快進撃で、初の準優勝を果たしたことは記憶に新しい。

その中で、注目されたのが、甲子園のアルプススタンドで同校吹奏楽部が演奏した楽曲「V-ROAD」だった。

吹奏楽部が、野球部からの依頼で演奏を始めたチャンス曲だ。テンポとノリのいい応援で、強者に堂々と立ち向かう選手たちの背中を押した。

「V-ROAD」は長崎が発祥で、サッカーの曲だ。ロックバンド「FUNKIST」が、もともと長崎のチャントとして作った曲で、サポーターに浸透していた。

なぜ下関国際が?

高校野球に取り入れられるきっかけは長崎・創成館だった。

同校の奥田修史理事長(50)によると、長崎サポーターのチアリーディング部の生徒から「『V-ROAD』って知っていますか。絶対高校野球にもいいと思うので、聞いてみてください」とすすめられ、曲を聴いて、感銘を受けたという。そして、すぐに吹奏楽部の顧問にアレンジ曲作りを依頼した。

同理事長は「歌詞の中に『涙雨越えたこの町で』という歌詞があります。涙雨というのは黒い雨で、(原爆投下の)被害から立ち直った『この町』という意味も込められている。長崎の県民歌にもなるぐらいの曲です」。

心に響いた。

原爆投下の歴史を乗り越えて歩んできた長崎。この曲には県民の励みになる「応援ソング」の響きがあった。

J2の長崎は、85年創立の有明SCという小さなチームから始まった。17年に深刻な経営難に陥りながらも、通信販売大手ジャパネットホールディングスの支援で再生。この年、J参戦5年目で悲願のJ1初昇格を遂げた。

62年創部の創成館野球部は、無名校から、08年秋から就任した九州三菱自動車を率いた稙田(わさだ)龍生監督の改革を経て、13年にセンバツ初出場。以降、春夏通算6度の甲子園出場を果たした。

苦難と挑戦の歴史。さまざまな人の思いが紡がれ、凝縮された曲とも言える。

その曲を、創成館が18年センバツ2回戦の下関国際戦で初めて披露した。続く3回戦の智弁学園戦(奈良)、準々決勝の智弁和歌山戦でも応援曲が流れたことで、花巻東(岩手)や下関国際など、他校にも急速に広まって行ったという。

同理事長・校長は「リズムが取りやすく、ノリやすい曲なんだと思います。ほとんど全校、アレンジして使っています」。

高校野球では今夏代表の海星をはじめ、長崎のほとんどの高校で定番曲として扱われている人気ぶりだ。

下関国際は、吹奏楽部の顧問が「野球部からの希望だった」と説明する。創成館とセンバツで対戦したことをきっかけに「V-ROAD」の採用にいたった。

苦難や逆境にもひるまず、雄々しく進む人々の背中を押す-。

長崎における多くのストーリーを包み込んだ曲のきらめき。それはスポーツのジャンルや地域、学校の枠を超えて、広がりを見せている。

応援曲の定番とされる「宇宙戦艦ヤマト」「サウスポー」「狙い撃ち」「ハイサイおじさん」などに並ぶ名物になりそうだ。【菊川光一】

◆菊川光一(きくかわ・こういち)1968年(昭43)4月14日、福岡市博多区生まれの54歳。福岡大大濠-西南大卒。93年入社。写真部などを経て現在報道部。主にJリーグ鳥栖、福岡やアマ野球などを担当。スポーツ歴は野球、陸上中長距離。170センチ、61キロ。血液型A。