新型コロナウイルス感染拡大の影響で、国内外のサッカーリーグ、代表の国際試合は中断、中止を余儀なくされている。 生のサッカーの醍醐味(だいごみ)が伝えられない中、日刊スポーツでは「マイメモリーズ」と題し、歴史的な一戦から、ふとした場面に至るまで、各担当記者が立ち会った印象的な瞬間を紹介する。第3回は01年フランス戦。

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人はショックを受けると表情を失うという。その通りだと思った。試合後の会見で日本代表のフィリップ・トルシエ監督の白い顔は能面のようだった。「フランスは宇宙人に見えるくらいすごかった。我々は準備しなおさなければならない」。決して弱みを見せなかった野心家の弱音を、私はこの夜、初めて聞いた。

2001年3月24日、パリのフランス競技場。トルシエ・ジャパンはフランスに日本サッカー史に残る屈辱的な大敗を喫した。前半8分、DF松田のファウルからPKを決められると、あとは速くて、正確無比、創造性に富んだパスを駆使するフランスのワンマンショーになった。私自身、日本の選手よりもMFジダンの異次元プレーに見とれてしまったほどだ。

スコアは0-5。試合前の大雨でぬかるんだピッチに、日本選手は足を取られ、動きだしが遅れ、ミスを連発したが、フランス選手のプレーにはほとんど乱れはなかった。「高い技術を誇る」と言われた日本の黄金世代が、まるでレッスンを受けているようだった。「誰がジダンを止めるの? 精度もスピードもまるで違う。このままではワールドカップもだめ」。MF稲本は本音を隠さなかった。

試合前までトルシエ監督は意気揚々だった。前年6月のモロッコでの国際大会で、フランスに2-2で引き分ける善戦を演じ、同10月のアジア杯を圧倒的な攻撃力で制していた。パリでの再戦は母国フランスに自分の名前を売り込む絶好の機会だった。日本では報道陣を遠ざける指揮官が、地元のメディアに積極的に露出した。前日会見では「どうやってジダンをマークするのか」の質問に「ジダンには中田英をマークしてもらう」と返した。

自信家のフランス人監督が高い鼻をへし折られた、という話を書きたいわけではない。実はこの大敗には続きがある。試合後、トルシエ監督はある選手を初招集する。この年、清水でDFからMFにコンバートされた戸田和幸である。日本中盤を形成していた中田英、名波、稲本らの攻撃力は高いが、世界レベルの進撃を止めるには、献身的な走力と判断力でパスの起点をつぶす門番が欠かせない。指揮官はそれに気づき、戸田に白羽の矢を立てた。

日本で同年5月に開幕したコンフェデレーションズ杯で代表デビューした戸田は、初戦のカナダ戦から先発し、中盤の守備の要として日本の快進撃を支えた。決勝のフランス戦は惜敗したものの、最少失点に抑える善戦だった。そして翌年の02年W杯。モヒカンを真っ赤に染めた戸田は、気迫のプレーで日本の決勝トーナメント初進出に大きく貢献した。あのパリでの歴史的な大敗は、日本サッカー史に燦然(さんぜん)と輝く快挙につながっていたのである。【首藤正徳】