パリオリンピック(五輪)サッカー女子日本代表なでしこジャパンが準々決勝で米国に延長戦の末、0-1で惜敗してから23日で20日となった。
FW千葉玲海菜(25=Eフランクフルト)は故郷の福島県・いわき市の思いを胸に、大会で4試合の出場。チームにアクシデントが頻発する中、全試合で途中出場して前線を活性化させる重要な役割を担った。
当初はバックアップメンバーとして選出され、試合に出場できるか不透明だった。7月の国内合宿時には「自分がやれることを精いっぱいやろうと思っています」と心持ちを明かしていた。可能な限りの準備を進めると、直前の大会規定変更によって出番が回ってきた。スピードを生かしたプレッシングや背後への飛び出しなどで疲労のたまる終盤に活力を与えた。
米国戦後は「まだまだ自分の実力が足りてないですし、得点という形でチームに貢献できなくて本当に悔しいです」とやりきれない思いを口にしていた。戦力としての自覚がにじんだ。
千葉の地元、いわき市は2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた。当時、小学5年の3学期。そこから約1年間、大好きなサッカーを満足にプレーすることすらままならなかった。すずかけSSSとリベルダード磐城で千葉を指導した長岡芳明さんは、こう振り返る。「原発の影響で放射能が分からないからとグランドを使えませんでした。チームの事務局をお願いしている方が所有するビルの3階の壁をぶち抜いて、安い人工芝を敷いて屋内施設を造りました。1年弱はそこで練習しました」。カテゴリーごとに時間を分けて活動した。壁はなくしても、鉄骨の柱は外せないためマットで覆い「かわせ!」と指示した。基礎練習がメインで、実戦形式は5対5のミニゲームがやっと。1階には飲食店が入っており、足音などの苦情を受けて何度も頭を下げたという。「なんとかサッカーをする場を提供したい」という思いに突き動かされての行動だった。
それから13年。千葉のプレーする舞台はビルの中から何万人も観客が熱狂する五輪のピッチに変わった。昨年のワールドカップ(W杯)ニュージーランド・オーストラリア大会に続いての主要国際大会出場。11年の女子W杯優勝に勇気をもらったという千葉はアスリートとしての役割を認識して夢舞台に立った。「自分自身もスポーツの力で本当に被災した時に力をいただいた。スポーツの力というのは本当に無限大だと思うので、そこを証明できるようにしっかり被災された方々への思いを背負って戦えれば」と強い決意のもとプレー。注目度の高い五輪で躍動し、多くの人々に勇気を与えた。
ただアタッカーとしては、無得点。悔しい思いが残った。チーム解散が決まった米国戦後「途中出場で全ての試合に出させてもらったんですけど、まだまだ課題があったので、これからのサッカー人生で生かしていきたいなと思います」と絞り出すように言った。見据えるのは3年後の女子W杯、そして28年ロサンゼルス五輪だ。多くの期待を背に、千葉の歩みは続く。【佐藤成】

