J3のSC相模原の元日本代表GK川口能活(43)が14日、相模原市役所で引退会見を開いた。川口は各年代の日本代表が世界と戦えるレベルまでに成長したことが、この時期に引退を決断した理由だと語った。

川口は「実は、この1、2年くらい、プレーを続けるか、あるいは引退するか、そのはざまで揺れていました。サッカーが好きだから続けたい…でも、試合に出られない」と引退するか否か、この1、2年に悩みがあったと明かした。

その上で「今年のロシアワールドカップをはじめ、各カテゴリーの日本代表のアジアでの戦いを見まして、僕が代表でプレーしていたよりも上のレベル、世界で戦える日本サッカーになっていると思った。動機の中で、選手ではなく、また違った形で貢献したいという思いが強くなったので、引退する覚悟を決めました」と語った。

川口は日本代表では、横浜に入団した94年U-23(23歳以下)日本代表に選ばれ、アトランタオリンピック予選に出場。1996年(平8)の本大会では、7月22日の1次リーグ初戦で強豪ブラジルと対戦し、FWロナウド、ベベット、MFリバウド、DFロベルト・カルロスら世界的な選手を擁するブラジルから28本のシュートを浴びながら1-0で完封し、日本サッカー史に残るジャイアントキリング“マイアミの奇跡”の立役者となった。

加茂周監督体制下の96年8月25日のウルグアイ戦で日本代表に初招集されると、翌97年2月13日のスウェーデン戦でA代表デビューを果たした。日本がワールドカップ(W杯)に初出場した98年フランス大会に出場し、初戦のアルゼンチン戦を含め1次リーグ3試合に出場も全敗した。

フィリップ・トルシエ監督が率いた00年のアジアカップでは優勝に貢献も、02年のW杯日韓大会では、ライバルの楢崎正剛(名古屋グランパス)に守護神の座を奪われた。

W杯日韓大会後、就任したジーコ監督の下でも控えの立場が続いたが、04年のアジアカップでは準々決勝のヨルダン戦のPKで2本止めるなど優勝の立役者となり、自身3度目のW杯となった06年のドイツ大会では定位置をつかみ、1次リーグ3戦全てに出場も敗退した。

W杯ドイツ大会後、就任したイビチャ・オシム監督体制下の日本代表では主将に指名されるも、アジアカップでは韓国との3位決定戦にも敗れて3連覇に失敗。同監督が病に倒れ、後を継いだ岡田武史監督が率い、08年3月26日に行われたW杯アジア3次予選のバーレーン戦に0-1で敗れ、定位置を失った。09年には不振から代表招集を見送られ、同9月に右脛骨(けいこつ)骨幹部骨折で全治6カ月の重傷を負い、翌10年5月10日のW杯南アフリカ大会の日本代表メンバー発表までJリーグの公式戦に出場できなかったが、チームキャプテンとしての立場を求められサプライズで、4度目のW杯日本代表に選出された。【村上幸将】

<川口能活(かわぐち・よしかつ)>

◆生まれ 1975年(昭50)8月15日、静岡県富士市。

◆サッカー歴 富士市立天間小3年の9歳で始める。同4年からGK。東海大一中2年で全日本ジュニアユース大会優勝。清水商(現清水桜が丘)では1年から正GKとなり、主将の3年時に高校選手権優勝。94年に横浜M(現横浜)入り。

◆鮮烈デビュー プロ2年目の95年にJリーグデビュー。19歳だった4月26日の柏戦で初出場初完封。横浜Mの正GKとして年間優勝に貢献した。

◆個人タイトル Jリーグでは95年新人王、06年ベストイレブン、08年フェアプレー賞。国際大会では01年コンフェデ杯と04年アジア杯でベストイレブン。

◆最年長出場 9月2日鳥取戦が直近の出場。43歳18日での出場はJ3最年長記録。J1、J2を含め、43歳以上でリーグ戦に出場した唯一のGK。

◆GK最多 日本代表で国際Aマッチ通算116試合出場は歴代3位タイで、GKでは最多。98年フランス大会からW杯に4大会連続メンバー入り。4度出場はGK楢崎と並び最多。

◆サイズ 180センチ、78キロ。