日本のリオデジャネイロ・オリンピック(五輪)代表監督とワールドカップ(W杯)ロシア大会代表コーチを務めた長崎の手倉森誠新監督(51)が、13年仙台以来、6年ぶりのJリーグで横浜FCを1-0で破った。就任にあたり、“世界基準”を植えつけ1年でのJ1復帰を宣言。前半は押し込まれたが、あらゆる引き出しを駆使する柔軟な対応で初陣を飾った。

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手倉森新監督が“世界基準”で、長崎を開幕勝利に導いた。完封勝利の瞬間、1万1924人の大観衆を前に右手でガッツポーズだ。6年ぶりのJ復帰で初陣を飾り喜びもひとしおだった。試合中は「簡単に(点を)取らしてくれねぇな。簡単に失点もしたくない」と、闘志をメラメラと燃やし続けた。

リオ五輪には現A代表の南野や中島を率いて出場。W杯ロシア大会ではコーチとして長谷部や本田の相談に乗った。長崎では沖縄、ハワイの合宿で当時と同じ指導法を再現。「長崎でもリオ五輪やW杯のミーティングでやったことや言ったことなどを教えている。柔軟性と割り切りを。キャンプから言ってきた」。09年に仙台をJ2優勝に導き、J1に昇格させた経験から「J2では、美しく勝つよりタフに勝つ方が大事」という。この日、前半は押し込まれる時間が多かったが「戦略やシステムを変えていきながら柔軟に対応した」と冷静に勝機を見いだした。

途中出場で後半45分、シュートのこぼれ球に素早く反応し決勝ゴールを決めたFW長谷川に指揮官は「キャンプから調子が良く、点を決めると思っていた」と期待した選手だ。指導について長谷川は「伸び伸びやれている。柔軟な対応で特長を最大限引き出してくれるので、100パーセントの状態でいいプレーができる」と言い、結果で応えてみせた。

手倉森監督は、昨年8月に日本協会を離れた後、U-21タイ代表監督や複数のJ1、J2クラブから興味を示されたが、長崎を選んだ。基準は、社会的な意義が付随するかどうか。仙台時代の11年、東日本大震災に遭い「希望の光になる」を合言葉に戦った。「被災地を背負った時、人が変わる姿を目の当たりにした」。長崎も1945年(昭20)に原爆を投下された。被災地、市民を背負えばチームが劇的に強くなる指導経験をしてきた。長崎にも同じ可能性を感じたから、J2からの再出発に迷いはなかった。おとこ気さい配で1年でのJ1復帰を目指す。【菊川光一】