G大阪の元日本代表MF遠藤保仁(39)が、日本人選手で初の公式戦1000試合出場を達成した。神戸戦でベンチスタートも後半19分に出場。終盤に2点リードを追いつかれて引き分けたが、遠藤は「いろんな人の支えに感謝したい」。横浜フリューゲルスからスタートしたプロ22年目。大きなケガもなく、コンスタントに試合に出続けたゆえの金字塔を打ち立てた。

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大きな節目の試合でも遠藤は遠藤だった。途中出場で到達した公式戦通算1000試合出場。J1通算621試合も元名古屋のGK楢崎の631試合に次ぎ、今季中の更新を視野に入れる。日本代表としても歴代最多の152試合に出場している。「鉄人ぶり」を証明する記録。だが、遠藤は「ただ数字だけを重ねても意味がない」と仕事に徹した。

終盤に追いつかれ、勝利で飾ることはできなかった。しかし遠藤は「勝てる時もあれば、そうならない時もある。勝ちたかったけど、次に生かせれば。長くやれているからこその数字。うれしく思うし、いろんな人の支えに感謝したい。少しでも伸ばしていけたら」と冷静に言った。

コツコツ積み重ねてきた。G大阪の屋台骨となり、日本代表でも「心臓」と称された。欠かせない存在だからこそ、1000試合もの大台にたどり着いた。「ずっと試合に出られている時もあれば、そうではない時も。常に準備をして、出た時に何ができるか、結果が大事。監督に使いたいと思わせるプレーをしていきたい」と話す。そんなプレーへのスタンスは「(プロデビューの)18歳の時も今も変わらない」と言う。

先制ゴールを決めたMF倉田は、クラブ通算1500得点のメモリアル弾だった。「全然知らんし。(名前が残るとの質問に)どっちでもええわ」。そして、広島から期限付き移籍で復帰のパトリックも「ガンバのユニホームを着てプレーすることに喜びを感じる」とゴールを決めた。

遠藤の偉業を祝うべく、全員で戦った末の勝ち点1。宮本監督は「勝ち点2を失った、もったいない試合」と言ったが、記憶に刻まれる試合となった。遠藤は思い出の試合を「自分自身の開幕戦(98年3月21日、横浜M戦)。プロとしての第1歩だったから」。踏み出して積み上げた1000も通過点。遠藤の歩みは止まらない。【実藤健一】