浦和レッズの元日本代表MF阿部勇樹(40)が埼玉県民の日の14日、さいたま市内のホテルに登壇し、今季限りで現役引退すると、自らの口で明かした。「私、阿部勇樹は2021シーズンをもちまして、プロサッカー選手を引退することを決めました。長きにわたって、応援してくださったファン、サポーター、パートナー企業、日本サッカー協会、ジェフ千葉、レスターシティー、浦和レッズの関係者のみなさま、本当にありがとうございました。本当に幸せなサッカー人生でした」と涙声で話した。

24年目の今季は、2年ぶりにキャプテンに就任。開幕戦の2月27日東京戦(埼玉)では先制点を挙げ、ジーコに次ぐ歴代2位の39歳5カ月21日での得点をマークした。ただ、足の故障もあり、今季リーグ戦12試合出場で3得点にとどまっていた。

複数ポジションをこなす「ポリバレント」の申し子だった。市原(現千葉)時代の98年に、当時のJ1最年少記録となる16歳10カ月30日でデビュー。イビチャ・オシム監督に見いだされ、05、06年のナビスコ杯(現ルヴァン杯)連覇を達成。時に、中盤の底を担うアンカーとして、時にはDFとして、チームの窮地を救ってきた。

熱い男でもあった。15年3月4日、埼玉スタジアム。公式戦3連敗を喫した直後、阿部は怒号飛び交うスタンドのサポーターのところに向かった。ファンの気持ちを全身で受け止めた。「まず勝たなきゃダメなんだよ。俺たちやるから。だから一緒に戦って」と声を張り上げた。「とにかく、1勝しなきゃ何も始まらないんだよ。次は絶対に勝つから」。拡声器など使わず、地声でファンに魂をぶつけた。

一方で“オフ”に見せる屈託のない笑顔は、世代を問わず、老若男女に愛された。愛称「阿部ちゃん」。常に闘争心全開で戦う姿勢に、多くのファンは心酔した。

守備的MF、DFを主戦場に歴代4位となるJ1通算589戦出場。国際Aマッチ出場53戦3得点。日本サッカー史に名を刻んだレジェンドがピッチを去る。

 

◆阿部勇樹(あべ・ゆうき)1981年(昭56)9月6日、千葉県生まれ。市原(現千葉)ユース時代の98年にJデビュー。千葉で05、06年にナビスコ杯連覇。浦和に加入した07年はACL優勝。10年にイングランドのレスターへ移籍し、12年に浦和復帰。日本代表の国際Aマッチは10年W杯南アフリカ大会など53試合で3得点。178センチ、77キロ。