肝不全のため、76歳で亡くなった高校サッカー界の名将、小嶺忠敏(こみね・ただとし)さん(長崎総合科学大付監督)の葬儀・告別式が9日、長崎県南島原市内で行われた。

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式に先立ち、長崎総合科学大付新チームの1、2年生25人が訪れ、猛将の志を継ぎ奮闘する覚悟を示した。小嶺さんが最後に率いた長崎総合科学大付の新チーム部員は、練習試合の遠征から急きょ、帰郷していた。中には、本年度の選手権にも出場した主力メンバーもおり、最後の別れを終えた生徒は「伝説の名将」の志を継ぐ決意を示した。

生徒は開式前だった午前中に訪れ、祭壇の前で選手権にも出場したMF竹田天馬(2年)が代表であいさつ。「今までありがとうございました。小嶺先生から学んだことを生かして、これからも頑張ります」と言い、言葉に力をこめた。

新チームのあり方にも言及し「小嶺先生がいないから負けたと言われたくない。それは小嶺先生が一番悔しいと思う。上(天)から見られている自覚を持ってやっていきたい」との覚悟も語った。

今大会、小嶺さんは初戦から不在だった。だが、毎試合前、小嶺さんからスタッフを通じ「今までやってきたことをやれば大丈夫。思いきってやれ」と伝えられ、奮い立った。

残念ながら3回戦で敗退したが、その2日夜、小嶺さんは「よく頑張ったと伝えてくれ」とスタッフに伝えた言葉が最後となった。

竹田は7日午前8時ごろ、亡くなったことを知ったといい、当時は「どうしたらいいか分からない気持ちになった」。それでもすぐに「ここでへこむんじゃなく、やらなければいけないと思った」と前を向いたと話していた。

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