セレッソ大阪は、元選手でOBの宮本卓也(みやもと・たくや)さんが、1日に38歳の若さで亡くなったことを、この日の試合前に発表した。

今季ホーム初勝利を飾った試合後、取材に応じた森島寛晃社長(50)は、選手が喪章をつけて戦ったことに触れて、「クラブの思い。本当に献身的にプレーしてくれた選手だった」と悼んだ。

森島社長がMFで現役だった06年、宮本さんは大商大を卒業し、練習生を経てプロ契約を勝ち取った苦労人だ。DF登録だが、実際はボランチでプレーすることが多かった。165センチと小柄ながらガッツあふれる選手だった。

当時の強化責任者だった西村昭宏氏(63)は、「(ボランチとして)まさに水を運ぶような選手。本当に残念でならない」と悔やんだ。

西村氏は現在、JFL高知ユナイテッドのGMを務める。前身アイゴッソ高知時代には、宮本さんがC大阪下部組織の直営スクール・コーチとして月に2回、高知に来て、子どもたちを指導してくれたという。「宮本さんに感謝を伝えたかったのに…」と言葉を詰まらせた。

広島県出身の宮本氏は、サンフレッチェ広島の下部組織から大商大を経て、C大阪に入った06年は、J1で15試合、J2に降格した07年は28試合に出場するなど主力級の選手だった。

その後はモンテディオ山形、アビスパ福岡に移籍して13年限りで現役を引退。14年からは古巣C大阪の下部組織で指導者生活をスタートさせ、今春からJ2V・ファーレン長崎のジュニアユース(U-15)コーチに就任した。

元C大阪監督の副島博志氏(62)は、今年の年明けに宮本さんと大阪市内で会い、C大阪下部組織から長崎に移るあいさつを受けたばかりだった。

「単身赴任で行ってきます、というあいさつだった。口数は決して多くないが、何事にもまじめに向き合う性格だった」と、ショックを隠せなかった。