日本サッカー協会は10日、都内のサッカーミュージアムで日本サッカー殿堂入りした元日本代表の木村和司氏(64)ら5人の掲額式典を行った。ほかは元日本代表監督の故イビチャ・オシムさんや長崎・国見高の元監督の故小嶺忠敏さん、南米サッカー界とのパイプをつくった故北山朝徳さん、静岡県で普及、強化に尽力した女性指導者の草分けの綾部美知枝さん(73)。式典では本人や親族に記念プレートが贈呈された。
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国内初のプロ選手で日本サッカー界のパイオニア、木村氏が誇らしげに記念プレートを手に取った。日本代表として国際Aマッチ54試合、26得点。1983年9月のロサンゼルス五輪予選のフィリピン戦では1試合5得点。「次女が生まれて2日目だった」と当時を懐かしんだ。85年に記録した代表6戦連続ゴールは連続得点記録として現在も破られていない。
FKの名手として知られ、同年のW杯メキシコ大会アジア最終予選の韓国戦(国立)のFK弾は今も語り継がれる。「韓国戦が(キャリアの中で)1番じゃないか。6万人の国立で決めたのもワシらしい」といって会場を沸かせた。1試合5ゴールのフィリピン戦も国立。日本サッカーの聖地で輝く存在だった。
93年にはJリーグが華々しく開幕し、横浜の一員として国立での開幕戦のピッチに立った。一方で、サッカー人気が伸び悩んだ日本リーグ時代も経験。がらがらのスタンドの中、ボールを懸命に追っていたことも忘れていない。「プロは楽しませてなんぼ。ワシはいつも、お客さんを喜ばせるためにやっていた」。今年で創立30周年を迎えたJリーグの礎を築いた。
日本代表も着実に力をつけ、W杯は98年フランス大会から7大会連続出場。11月のカタール大会では森保ジャパンが史上初のベスト8進出を目指す。「1番は自分たちが喜んでほしいし、多くの人を喜ばせてほしい」と、歴史が塗り替えられることに期待を寄せた。【岡崎悠利】
〇…5月に80歳で亡くなったオシム氏のプレートは、教え子である羽生直剛氏、佐藤勇人氏、鈴木啓太氏が代理で受け取った。羽生氏は「自分は身長が低く技術も平凡だったが、十分できると認めてくれた」と感謝を述べた。また今年1月に76歳で亡くなった国見高(長崎)の元監督である小嶺忠敏氏の代理には元日本代表の大久保嘉人氏が出席。「いつも長所を伸ばせと言われていた」と当時をなつかしそうに振り返った。



