今季限りで川崎フロンターレを退職するサッカー事業部プロモーション部の天野春果部長(52)が22日、神奈川・川崎男女共同参画センターで、かわさきFM主催のトークイベント「アマトーーク FINAL」を行った。

天野氏は「川崎フロンターレ算数ドリル」「かわさき応援バナナ」「いっしょにおフロんた~れ」、宇宙生交信、陸前高田市との交流など数々の名物企画に携わってきた名物社員だ。

一社員のトークイベントに、中西哲生氏(54)中村憲剛氏(43)谷口博之氏(38)森勇介氏(43)井川祐輔氏(41)新井章太(35)武岡優斗氏(37)大久保嘉人氏(41)武田真平元社長(74)関塚隆元監督(63)川崎福田紀彦市長(51)と豪華ゲストが集結。チケットは完売で、約850人が天野氏のラストダンスを見守った。

大盛況に終わったイベントを天野氏は「単純に楽しかったですね! やりながら、これパート2、パート3やりてえなって思った」とすがすがしく振り返った。

イベントでは、年代ごとにトピックをあげて、選手らに話を振って当時のエピソードを掘り起こした。選手、監督、社長らそれぞれの立場でぶっちゃけまくり、会場は爆笑に包まれた。

天野氏が入社した97年に名古屋グランパスから移籍してきた「同期」の中西氏からは「2人でどうしようかって話し合った。あの頃の2人に言ってあげたい。こんなに素晴らしいサポーターに囲まれるチームになった」と言葉をかけられた。

03年から数々の企画に率先して取り組み、クラブをともに大きくした「同志」の中村氏からは「今の自分は天野さんなくしていない。本当は言いたくないですけど(笑い)、それくらいの人。巻き込む力がすごい。熱量がすごくて、社会人として芯を持って仕事に取り組むことは彼から学びました」と感謝された。

天野氏は多少強引と言われても、情熱、強い信念を持って多くの人を巻き込んできた。「地域プロスポーツというのはやっぱり地域のもので、川崎フロンターレは川崎のものなんで、それはスタッフとか選手とかサポーターという線はいらないと思っています」。さまざまな立場の人が一体となることが大切だった。

何をするにも川崎Fのことを考えた。17年から4年間、東京オリンピックパラリンピックの組織委員会に参画した際も頭にはずっとクラブのことがあった。「ブルーインパルスをフロンターレでも飛ばせるかな」などとアイデアを巡らせ続けた。

Jリーグの中でも川崎Fの地域に根ざした活動はトップクラスとして知られる。その取り組みは、天野氏の存在なしには語れない。事業面でクラブを大きくした功労者だ。今後は「天野イズム」の継承がクラブにとって1つテーマになる。「みんなが肩組んで、上も下とかもなくて、やっぱり同じ川崎が好きで、フロンターレが好きという形でやっていく、そういう風なクラブであってほしいなとは思います。泥臭いですけど」。

東京五輪に携わる中で「もっとプロフェッショナルになりたい。より極めたい」と考えるようになった。20年に中村憲剛氏の引退セレモニーを実施。行政も巻き込んで「伝説」と呼ばれるビッグイベントを完遂させ、「頭と体が動く内に」と昨年末に退社を決意した。

今後は会社を立ち上げて新たなチャレンジをする。川崎Fのプロモーション部の盟友で、Bリーグのアルバルク東京でGMも務めた恋塚唯氏とともに、スポーツクラブや自治体の「設計」を行っていく。コンサルタントではなく「コンストラクター」。口先で何かを言うのではなく、自ら中に入り込み、自治体やスポンサーを巻き込んでさまざまな企画を実践していく。

来年の川崎市制100周年でも大きな企画のためにすでに動き出しているという。「おもろいことやりますよ。楽しみにしてください」。ニヤリと笑った。

川崎Fを「自分の全て」と言い切り「完全燃焼できた」。27年間を走り抜けた。第2章でもクラブで培ったものを生かして、地域を、日本を笑顔にしていく。【佐藤成】