サンフレッチェ広島は16日、初代総監督だった今西和男さんが同日未明に肺炎のため死去したと発表した。85歳だった。

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今西さんの左足には痛々しいケロイドの跡が残っていた。昨年3月、広島市内でお会いした際、広島での4歳の時の被爆体験に話が及ぶと、彼は靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾をまくりあげて言った。「左半身に大やけどを負って、左足は焼けただれた。足首は90度以上は伸ばせないんです」。

その絶望的なハンディを抱えながら高2でサッカーを始め、東京教育大(現筑波大)では主将を務め、実業団の東洋工業では名ディフェンダーとして数々の優勝に貢献した。ご本人は「とにかく負けず嫌いでしたから」と淡々と振り返ったが、想像を絶する努力と苦労のたまものだろう。

当初は「米国が憎かった」。心境の変化は日本代表時代の東南アジア遠征。そこに日本を憎んでいる人たちがいた。「それから米国ではなく、戦争そのものが悪いと考えるようになりました。2度と戦争を起こさないためには、もっと人と人、国と国が交流する必要がある。そのためにスポーツが役立つと思いました」と当時を熱く振り返った。

84年にマツダ(現サンフレッチェ広島)の監督に就任すると、後の日本代表監督のオランダ人ハンス・オフト氏をコーチに招へいした。これをきっかけに40歳をすぎてから英会話学校に通って英語を猛勉強。以来、スペイン語、ロシア語などさまざまな言語も学び、50カ国以上に足を運んで、世界中に人脈を広げた。

高校時代に無名だった現日本代表監督の森保一氏をスカウトして、広島の中心選手に育てたのは有名な逸話。「彼はプレー以外に強みがあった。くそ真面目でひた向きにサッカーに取り組む。人の顔をしっかり見て話しを聞いていましたから」。その姿が自分に重なったのかもしれない。

終戦80年の節目を迎えた昨年、今西さんは人生をこう振り返った。「4歳で被爆した私を救ってくれたのがスポーツでした。本当にサッカーをやってよかった」。サッカー、そしてスポーツが秘める可能性は、私たちが考えるよりずっと大きいのだ。今西さんはまさにその体現者でもあった。【首藤正徳】

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