清水の大榎克己監督(49)は昨年7月30日、アフシン・ゴトビ前監督(50)の成績不振による解任を受けて、指揮を託された。準備期間わずか3日で始まった戦いは、17試合で4勝3分け10敗と苦しむ。それでも、最後はチームをJ1残留に導いた。シーズン途中での監督就任-。理想と現実の間でもがき続けた4カ月間を振り返るとともに、今季にかける決意を聞いた。

 昨年12月6日。ホームアイスタ日本平は安堵(あんど)感に包まれた。最終節甲府戦、相手に2倍近い9本のシュートを放たれながらも全員でゴールを死守。引き分けで大きな勝ち点1を積み、J1残留を決めた。大榎監督が、重圧から解放された瞬間だった。

 -残留が決まった瞬間の気持ちを教えてください

 大榎監督

 (試合終了の)笛が鳴った直後のことは、頭が真っ白で何も覚えてない。抱き合って喜んでいたぐらいで、どんな光景だったのかもあまり記憶がない。ただ、選手が泣いてる姿を見て相当なプレッシャーを受けていたんだろうなとあらためて感じた。

 -監督就任後の約4カ月間を振り返って感じることは

 大榎監督

 俺が初めて(J2に)落としてしまう監督になるのかな?

 って、早く楽にしてくれと思っていた。でもとにかく、やれることを全部やろうと。スタッフ全員で、言いなり地蔵尊に“お願い”に行った時もあったね(笑い)。甲府戦は途中から急に足が震え始めて、ロッカー室でも口がまわらなかった…。本当に長くて、苦しかった。

 結果は、就任後17試合で4勝3分け10敗。最低限の目標こそ達成したものの、理想には程遠い結果で1年目のシーズンが終わった。

 -実際にトップチームの監督として感じたことは

 大榎監督

 相手のことを徹底的に分析して、伝え過ぎると選手はそればかりを意識してしまう。相手をリスペクトし過ぎて、自分たちの良さが出せなくなる。どうしても受け身になってしまっていた。どこまで伝えるのか?

 そういう部分で難しさを感じた。

 -監督自身の反省は

 大榎監督

 反省というか、もう少し大胆にやっても良かったかなと思った。監督が代わって、いきなりシステムや戦術を変更するのは得策じゃないと思っていた。今思えば、自分自身も守りから入ってしまったのかなと感じている。自分の色を出すことはできなかったし、まだまだやりたいサッカーの3割、4割しかできていない。

 自身の「色」を抑えながらも、大きな困難を乗り越えた1年目。準備期間が十分にある今季への期待は自然と高まる。

 -今季に向けて必要なことは

 大榎監督

 走りは絶対。根本的にできてない。やっぱり走れなかったら自分の思ったプレーもできない。それから、集中力も体力の消耗とともに落ちる。最後まで集中してやるためにも体力が必要になる。後は対人の強さ。守備の時にボールに寄せられない場面が多い。どこと対戦しても劣っていると感じた。

 -最後に今季へ意気込みをお願いします

 大榎監督

 残留争いが良い経験だったとなるようにしなければいけない。同じ過ちを犯さないように選手、スタッフ、フロント全員が原点に返ってどうしたらいいのかを考えていくこと。残留したからといって曖昧にしてはいけない。もう、言い訳はできないと思っているし、優勝を目指す。最低でも次につながるようなシーズンにしなければいけない。

 サポーター200人が駆けつけた新体制発表会見。大榎監督の「今年は優勝を目指すシーズンにしたいと思います」との宣言で幕が開けた。清水の指揮官は勝負の2年目に挑む。【構成・前田和哉】

 ◆大榎克己(おおえのき・かつみ)1965年(昭40)4月3日、静岡県生まれ。清水FCから両河内中を経て清水東に進学し、高校選手権は優勝と準優勝。早大からヤマハ発動機(現磐田)に進み、91年に結成された清水入りした。96年ナビスコ杯、99年リーグ第2ステージ優勝などに貢献。02年に引退し、04年から早大監督に就任。08年に母校を大学選手権優勝に導き、同年から清水ユース監督。家族は夫人と2男。