【ドーハ2日】あと1ミリ足りなければ、あと数秒遅れていたら-。
日本を救ったのは、川崎市の小学生チーム「さぎぬまサッカークラブ」出身で、川崎フロンターレでも一緒にプレーした、川崎生まれの2人だった。1-1の後半6分。MF三笘薫(25)がゴールラインを割る寸前で、左足を伸ばした。マイナスのクロスを、右膝でねじ込んだのはMF田中碧(24)だった。2人で歴史をつくった。
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「ちょっと足が長くて良かったなと思いました」。普段はクールな三笘が、そう笑った。珍しくちゃめっ気たっぷりだった。後半6分。右サイドからのクロスは軌道がずれ、ゴールラインを割るかに見えた。そこに、日本代表の切り札、ジョーカー三笘がいた。「(ラインに)1ミリかかっていればいいな、と思いました」。ギリギリのところで、左足を伸ばした。
バウンドさせたマイナスのクロスがゴール前へ。「なんでああいうところに、いるか分からないですけど」。走り込んでいたのは、同じ川崎生まれ、1つ年下の田中。右膝で押し込んだ。約2分半の長いVARの末、無敵艦隊を失望させる逆転ゴールが認められた。
小学校時代は背の順で列の真ん中。身長が伸びるのが遅かった三笘が、あと数秒、あと数ミリの極限の世界で左足を伸ばした。スペインの守備陣はゴールラインを割るだろうと、動きを止めた。負けず嫌いの三笘が諦めるはずがなかった。
昔からそうだった。小学校時代のリレー競走でも、本気度が違った。同じ組になったメンバーに“朝練”を提案。学校が始まる前に集合し、バトンパスの練習などに時間を割いた。そのかいもあり、アンカー三笘の抜群のスピードもあり優勝。まわりから、「とにかく負けず嫌い。何事にも本気」と言われた性分は、日の丸を背負ってもW杯でも一切変わっていなかった。
三笘を信じ、走り込んだのは“生意気”だった田中だった。「律(堂安)からの折り返しでワンチャン(ス)あるかな、と思って。その後、大然(前田)とか薫さん(三笘)がいたんで、何とか(ボールが)残るんじゃないかな、と信じた」。
田中は先輩たちにも堂々と“ため口”を利く無邪気な少年だった。ただ、状況察知する能力は、昔から秀でていた。当時の仲間の1人は「ある時から、碧(田中)が先輩にため口をやめた。このままだと、ダメだと思ったんでしょうね」。怒られるか、怒られないか、そのギリギリを攻めてくる天性の愛されキャラ。大一番のスペイン戦でも、分岐点での嗅覚は研ぎ澄まされていた。
“持ってる男”ぶりも発揮した。川崎Fでのプロデビュー戦でJ1初得点。日本代表でも、最終予選初出場だった昨年10月のオーストラリア戦で国際Aマッチ初得点となる先制点を決めている。「僕は“持ってる”と思ってる。自分でそれを隠そうとは、思ってない。信じてたんで、自分自身を。自分がW杯で点を取るってのを、ちょっと前から言ってきたことなんで。今までの人生を含めて、やっぱり自分がサッカーと向き合ってきたことに、神様がご褒美をくれたのかなと思います」と堂々と言い切った。
川崎生まれ、さぎぬまSC育ち。川崎Fの下部組織で共闘し、カタールの地で2大会連続の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。日本代表のジョーカー、そして無邪気な“持ってる男”。正反対ともいえる2人が、川崎から世界を驚かせた。【栗田尚樹】


