92回を数える箱根駅伝に、初めて「父子鷹」の歴史が刻まれた。往路4位で10年の同2位以来の好成績となった山梨学院大は、上田誠仁監督(56)の次男健太(2年)が3区で箱根デビュー。監督と選手という関係の「父子」出場は史上初めての快挙だった。運営管理車から飛ぶ父のゲキに背中を押され、健太は1時間4分13秒、区間7位の粘りの走りを見せた。

 健太の背中にヒタヒタと駒大の中谷が迫る。11キロ過ぎ。ついに中谷に抜かれた。健太は必死の形相で食らいつく。その時、運営管理車から上田監督の声が響いた。「昨年の悔しさは、ここで晴らすしかないんだ!」。

 前回大会で健太は1年ながら1区にエントリーされた。山梨学院大付高3年で13年の全国高校駅伝を制し即戦力として期待されての大学1年目だ。しかし、レース当日に「メンバーから外す」。当て馬だった。非情な監督の一面を見せる一方で、告げた顔には涙もあった。わが子を思いやる父の顔をのぞかせた。

 父子はその時の思いを忘れていなかった。かけられたゲキが、健太の背中を押した。1万メートルの自己ベストで、約30秒も上回る駒大の中谷と並走する。「ここで競い負けたら、前回、つらい思いをした意味がない」。残り約3キロで、健太が前に出た。最後は中谷ともつれるように4区にタスキをつないだ。3位を死守した。わずか1秒差だった。

 昨年とは違い、2人に涙はなかった。往路終了後、3区を走った健太は、大学の車が渋滞に巻き込まれ、ゴール地点への到着が大幅に遅れた。「車を降りて走ってこい!」。父が再び監督の顔をのぞかせ、健太は約2キロを走って宿舎に到着した。その健太を、今度は父の顔で迎えた。「まだまだだな」。そう話すと、肩を笑顔でたたいた。

 上田監督は順大で箱根を3回走り、2度の区間賞に輝いた。健太の祖父で、母秀子さんの父の秋山勉さん(75)は、東農大時代に4年連続で箱根を走っている。健太は、まさに箱根を走るために生まれてきた“血統書付きのサラブレッド”。そのDNAはしっかりと受け継がれている。

 それでも父子ともに感慨に浸ることはない。上田監督が1987年(昭62)に初めてチームを箱根へ導いてから30年目。「その年に親子で箱根に参加できたことは感謝している。ただ、まだ復路も残っている」。記念すべき区切りの年に目標とする総合3位以内を達成してこそ、初めて父子のタスキがつながる。【吉松忠弘】

 ◆上田健太(うえだ・けんた)1995年(平7)7月5日、甲府市生まれ。甲府北中で陸上を始め、中3で全中1500メートルに優勝。山梨学院大付高に進学後は、3年で全国高校駅伝に優勝した。趣味は、父と同じく映画観賞。1万メートルの自己ベストは28分48秒92。家族は両親と兄、妹の5人家族。177センチ、55キロ。

 ◆上田誠仁(うえだ・まさひと)1959年(昭34)1月9日、香川県生まれ。尽誠学園高3年で高校総体5000メートル2位。順大進学後は、2~4年で山登りのスペシャリストとして5区を走り、2度の区間賞。順大卒業後に高校などの教師を経て、85年山梨学院大陸上部監督に就任。92年初の総合優勝、94、95年は連覇達成。

<スポーツ界の親子鷹>

 ◆野球 甲子園では東海大相模(神奈川)の原親子が有名。父貢氏が監督を務める同校の野球部に長男の辰徳(前巨人監督)が入部。1年夏から三塁のレギュラーポジションを獲得し甲子園に4回出場。プロ野球では巨人の長嶋茂雄、一茂親子、ヤクルトの野村克也、カツノリ親子。

 ◆サッカー 高校サッカー選手権では13年度大会で優勝した富山第一の大塚親子の例がある。父の一朗監督の下、次男の翔が主将を務め、首都圏開催となった76年度大会以降では初の父子鷹優勝を果たした。世界的にはイタリアのマルディーニ親子が有名。W杯98年大会でチェーザレ・マルディーニが監督、息子パウロが主将を務めた。

 ◆体操 世界選手権団体金メダルの加藤凌平は、父裕之氏が監督を務めるコナミスポーツクラブへ今春入社予定。父の指導を受け、リオデジャネイロ、東京五輪を目指す。