【5区】太田市役所→桐生市役所(15.8キロ)

区間最高記録保持者:坪田智夫(当時24=コニカ)

44分57秒(02年区間賞)

現在40歳。法大駅伝監督

 

 4区に次いで2番目に長い区間で、約50メートルの高低差をだらだら上る。北に向かって走り、赤城おろしが吹き付けることから向かい風となることも多く、粘りの走りが必要と言われている区間だ。マラソンランナーが起用されることも多い。だが、区間記録保持者の坪田智夫は「最初から速いペースで突っ込むべき区間」だと言い切る。

 区間記録を出した02年は、ライバルの中国電力に1分03秒差の2位でタスキを受けた。10キロをトラック1万メートルの自己記録と変わらない28分弱のハイペースで通過し、消防南分署前交差点を左折した11キロ付近で中国電力を抜いてトップに立った。「(コニカは)6区と7区が他のチームより強い選手だったので、自分のところで30~40秒縮めたら逆転できると思って走り始めました。前年に初優勝をしましたが、02年は外国人選手がケガをして起用できなかったんです。日本選手だけだから負けた、とは絶対に言われたくなかった。目標は連覇以外になかったので、無難な走りをする選択肢はありませんでした」。坪田の快走でトップに立ったコニカは、その後も首位を守りきり連覇を果たした。

 坪田はその年4月に1万メートルで自己新をマークし、日本選手権にも優勝。釜山アジア大会代表入りも果たした。

 5区が現行区間になったのは、総距離が100キロに伸びた01年から。02年の坪田は前年に藤田敦史(当時富士通、現駒大陸上競技部コーチ)がマークした区間記録を3分10秒更新した。更新幅の大きさは風向きの違いの影響によるところが大きいが、坪田は向かい風でも前半から突っ込んだ方が良いと言う。翌03年の区間賞(45分17秒)も追い風だったが、07年と08年の連続区間2位は向かい風だった。両年の区間賞は佐藤敦之(当時中国電力、現京セラ女子監督)で、坪田と同様に最初から突っ込む走りをしていた。「向かい風はどう走っても後半のタイムが伸びないので、タイムを稼ごうと思ったら前半から行くしかありません。最初から突っ込んでどこまで我慢できるかが5区の走りだと思うのですが」と解説する。

 当時は2区が最長区間で、そこで差がつく展開になっていた。5区は単独走になることが多く、差を詰めるには突っ込む走りをするしかなかった。今の5区も同じコースだが、現行の区間編成になった09年以降は4区を終わっても、接戦が続いていることが多い。後半勝負に備えて、前半を抑えるケースも増えている。

 「競り合っていても、前半から行くべきだと思います。(各区間20キロ以上の)箱根駅伝だったら後半勝負でも良いと思いますが、ニューイヤー駅伝は4区以外長くても15キロ。最後にちょい勝ちする走りはしてほしくない。そのくらいの力はあるはずです」。

 複数チームがトップ争いをする後方で、突っ込んだ走りで追い上げる選手が現れたら、最高に面白い5区になる。