数々の苦悩を乗り越えた。過去2年苦しんでいた山県亮太(28=セイコー)が、東京五輪の参加標準記録(10秒05)を突破した。予選2組に登場し、追い風1・7メートルの条件下、10秒01で1着となった。これで24日開幕の日本選手権(大阪)で3位以内に入れば、無条件で五輪代表に内定する。

スタートから前に出て、絶妙な追い風も背に、後半も失速しなかった。17年と18年に出した自己ベスト10秒00に0秒01差に迫る好記録だった。

2年前の春。腰に違和感を覚えた。パワーを求めるあまり、体のバランスが少しずつ崩れていた。また不運は続き、同6月の日本選手権は肺気胸で欠場、さらに11月には右足首の靱帯(じんたい)を断裂した。「考えれば、考えるほどネガティブになってしまう自分がいた」。意図的に人に会ったり、無理やり用事を作ったりして、折れそうになる心を保った。

まだ負の連鎖は続いた。昨年も右膝を2度痛めていた。日本選手権も欠場を余儀なくされた。練習できないストレスもたまる。日本スプリント界に取り残されていた。光の見えない中で、必死に自分に向き合った。

ただ、昔から競技人生は故障と、それを乗り越えた先の成長の繰り返し。試練こそ、飛躍のカギが隠れるとも身をもって知る。隠された進化の余地を見つけ、それを突き詰めた。今回もそう。必要以上のパワーを追求した代償で、失われていた柔軟性を取り戻し、新しい姿を模索した。

「殻を破って、変えないといけない」。今まで技術面の指導を受ける専属のコーチは付けていなかったが、今季から高野大樹コーチに師事するようにもなった。自身が暗闇にいた20年から、五輪は1年延期に。これも運命の巡り合わせか-。12年ロンドン、16年リオ代表と五輪シーズンに強い。そして21年東京に合わせるように、見事に復活した。強い山県が完全に返ってきた。