【ブダペスト(ハンガリー)=藤塚大輔】田中希実(23=ニューバランス)が女子5000メートルで26年ぶりの8位入賞を果たした。3大会連続の同種目決勝に臨み、14分58秒99をマーク。97年アテネ大会8位の弘山晴美以来、同種目史上2人目の快挙となった。1500メートルでは準決勝で敗退。5000メートルへの意欲も失いかけた。父健智コーチとも衝突し、チームも空中分解の危機に陥った。それでも周囲からの支えを糧に短期間で心を整え、予選では日本新記録を樹立。決勝の大一番でも力を発揮した。

世界のトップランナーたちとの12周半が始まった。アジア勢でただ1人出走した田中は、強豪アフリカ勢の仕掛けにも平静だった。「いつも通り」。いきなり1万メートル王者のツェガエ(エチオピア)が前へ出ても、冷静に中位を保った。「余裕があった」。心身を鍛え、新たな自分を模索した日々が、その下地にあった。

6月から約2週間のケニア合宿。いつもの父健智コーチのメニューではなく、現地の方針に従った。早朝からのスピード練習では、本番さながらにペースも変動。「どうすれば世界陸上の決勝で最後までつけるのかを体で覚えられた」。勝負勘が養われた。

ただ、世界と争うためには、己と向き合う必要もあった。自信を胸に挑んだ今大会。1500メートルの準決勝敗退後は自分を受け入れられなかった。「むなしい感情しか湧かなくて」。5000メートルへの出場にも後ろ向きになった。見かねた健智コーチからは「チームを解散する。この大会で区切りにしてもいい」と突き放された。「この後どうしようかな…」。本番が近づいても、放心状態だった。

切れかけた心の糸。つなぎとめたのは支えてくれる人だった。たわいもない話をしてくれたスタッフ。「大丈夫」と寄り添ってくれる仲間。見つけた答えは「自分自身を許す」だった。「信じてくれる方の気持ちを裏切るのは絶対ダメだ」。その決心が5000メートル予選の日本新へつながった。

迎えた3大会連続の決勝。駆け引きにも耐え、先頭集団で残り400メートルへ。予選では65秒以上を要したが、この日は約61秒でフィニッシュ。その4秒が入賞を導いた。ケニアでの鍛錬と自分を許容する心の大きさ。2つが重なったレースを終え、田中は笑っていた。「世界のトップに仲間入りできた。すごく楽しめた」。1500メートルとの2種目で挑むパリオリンピック(五輪)へ、この実感をつないでいく。

◆田中希実(たなか・のぞみ)1999年(平11)9月4日、兵庫・小野市生まれ。小野南中3年時に全国中学校大会1500メートルで優勝。西脇工高を卒業後、同大1年だった18年U-20(20歳未満)世界選手権で3000メートル優勝。東京五輪では1500メートルで8位入賞、5000メートルは予選敗退。豊田自動織機を経て、23年4月からニューバランス所属。6種目で日本記録保持。趣味は読書。153センチ。