第100回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝、来年1月2、3日)へ向けた連載「100回目の箱根 今昔物語」の第2回は運営管理車。監督が乗車して選手へ声をかける姿は、幾多の名場面を生んできた。

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「信じてるからな!」。今年1月の2区だった。残り3キロからの坂に差しかかった駒大のエース田沢の後方から声が飛んだ。主はこの大会が最後の指揮となった大八木監督。中大の吉居大、青学大の近藤と競り合う最中だった。「その言葉がじんときましたね。結構限界だったんですけど、踏ん張ろうと思いました」。3冠を達成したチームの1つのハイライトだった。

「男だろ」。同監督のここぞのフレーズが注目され、99回大会の中継では「監督声かけ中」のテロップも初登場した。マイクはいつでも使用可ではなく、「○キロ地点」などで決まっており、時間も1分間程度。奮闘する選手に何を伝えるか。監督たちは腐心する。

歴史は古い。陸上自衛隊のジープ型のオープンカーを使った「監督車」時代をへて、90年大会の伴走車廃止に伴い、各校の監督が車3台に分乗する体制に。03年大会から現在の運営管理車が導入され、山下りの6区を除く9区間で選手の後方を走る。

ジープ型で有名なのは、早大の中村監督。卒業を控えた4年生が区間のゴールに近づくと、校歌「都の西北」を少しの調子外れで熱唱するのがお決まりだった。現在では東洋大の酒井監督の「1秒を削っていくぞ!」など、時間制限のために短い“決めせりふ”が定番で、さすがに歌い始める監督はいない。

伝える内容にも、指導者のスタンスが出る。現在、早大を率いる花田監督は選手に周囲との差などの判断材料を託すだけにとどめ、あとは選手に委ねる。「後ろから誰かがアドバイスをするのは箱根駅伝だけ。トラックでもマラソンでも、常にランナーは1人で考えて状況判断しなければいけない。世界に出たいと思うならなおさらです」。箱根経由で五輪代表となった言葉は明解だ。

100回大会はどんな声が箱根路に響くだろうか。【阿部健吾】

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