新型コロナウイルスの感染拡大は、国民的娯楽であるプロ野球の興行にも大きなダメージを与えた。

当初の予定から約3カ月も遅れた6月19日、2020年シーズンが開幕した。。全143試合から120試合に短縮され、無観客が続いた。年末、12球団が本拠地で行った60試合の観客動員数が発表されると、極めて厳しい数字が並んでいた。

■石井GM兼監督の自負

1試合の平均は、最も多い広島東洋カープで8964人。最も少ない東北楽天ゴールデンイーグルスは、わずか3935人だった。シーズン序盤、無観客での主催試合が12試合あった(広島は4試合)。割り引いても…19年度の1試合平均は2万5659人。2万人以上も減少した。

チケット、飲食、グッズ。ゲームを主催することで得る収入は球団経営の心臓であり、確実に見込める“固定費”として予算にも組み込まれる。近年は黒字をキープしてきた楽天だったが、状況は一変した。売り上げは、19年度の約145億円から約80億円に減少。数十億円規模の赤字に転じた。


楽天の石井GM兼監督
楽天の石井GM兼監督

シーズンオフを迎えた。選手の契約更改交渉を迎えるタイミングで、球団は赤字の事実を公表することにした。交渉の席上、選手にも1年で暗転した球団経営の実態を赤裸々に伝えた。

ゼネラルマネジャー(GM)兼監督の石井一久(47)が、従来では考えられなかった「チェンジ」を振り返った。

「僕は、元プレーヤー。選手の立場で言うと、やったことで評価してほしいと思う。ただ、赤字が何十億円となっている去年の苦しい状況で『自分がプレーヤーだったら』という面だけを通していくことが果たして、いいのか…すごく難しいところですね」

日米通算182勝。18年9月に楽天GMに就任し、20年オフから兼任監督となった。自身の経験と立ち位置をよりどころに、考えた。現場とフロントの思いをくみ、透明性を高くすることで互いの理解を深め、不安や不信感を取り除くことにした。交渉を行うフロントマンには「PL(損益計算書)をしっかりと見せ、丁寧に説明すること」とリクエストを出した。

「ざっくりしたモノではなくて。年俸はこういう感じで、チケット収入はこう。だから、こういう赤字が生まれたんだという話をしてもらいました。選手には『幸せな野球人生だ』と思ってほしい。それはイコール金額、な部分もある。ただ、球団経営がうまくいかなかったら、払える金額も限界を超えて、つぶれる可能性だってある。両立させていかないといけない」

感染状況が悪化し、今季中に試合数の減少やシーズン中断などの事態に陥った場合は、その都度ミーティングの場を設けることを約束した。31億1088万円あった年俸総額は、昨年末の時点で約2億円減少した。年明けに本社の理解とサポートを得て、年俸9億円で田中将大の復帰につなげた。石井は「決してハードネゴシエーションをしたわけではないですよ」と笑った。


楽天に復帰した田中将大投手
楽天に復帰した田中将大投手

監督兼任となった今、石井にかかる比重は現場に重きがある。経営の指揮を執る立花陽三との二人三脚。

「他球団と僕たちの違いは、球団内の距離の近さ。カベがないから、悪いことも生まれたりしますけど。その倍以上、いいことが生まれる。また、僕と立花さんが接着剤として現場と事務方をつないでいるところがあるので、何事に対してもこのレスポンスの速さは、他球団にないと自負している。よりよい球団になるため、目指しているところがあると思います」

ピンチを好機への潮目とし、チェンジを図る。楽天が努力を続ける中で、見えざる敵はじわじわと感染の範囲を広げていた。

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■おおらかな離島が…

2005年(平17)の球界参入からキャンプを張ってきた沖縄・久米島。那覇から西へ100キロの離島は、コロナ感染者の入院できる病院が1つしかない。久米島病院の病床数は軽症用が5、中等症が1。医療体制を考えると、撤退という決断をせざるを得なかった。

観光業が生命線。イーグルスは閑散期の2月を救ってくれた。キャンプ中に訪れる観光客は、1人あたり平均で6万円を消費するとされる。昨年は約5500人が球場で応援した。10月、久米島町の担当者は仙台の球団事務所に行き、膝つめで開催を求めた。1カ月後、立花からキャンプを見送る連絡が入った。同町商工観光課の宮里学は「久米島を守るために、判断をしてくれたんだと思います。もちろん、経済面の影響はあります。ただ、制限がある中でキャンプを受け入れる自治体の負担も大きい」と受け止めた。

2月中旬、記者はプロペラ機で那覇から久米島へ向かった。


久米島空港の到着ロビーに飾られている楽天のグッズ、写真(撮影・桑原幹久)
久米島空港の到着ロビーに飾られている楽天のグッズ、写真(撮影・桑原幹久)

空港の到着ロビーには、楽天のユニホームやサインの入った写真が飾られていた。1年前と変わらぬ風景は、レンタカーを走らせると変わっていた。海風になびくサトウキビ畑を3キロほど縫って、久米島球場に着いた。道中、人の気配はなかった。

かすかにエンジン音が聞こえた。頼りにスタンドを歩いた。使う人のいない天然芝は丁寧に整えられて、南国の日差しによく映えた。整備車を運転していた男性に声をかけた。「いつもは選手やファンでにぎわっているので…心にぽっかりと穴があいた感じですよ」とつぶやいた。同町環境保全課施設管理班の赤嶺永樹は、10年以上グラウンド整備を担当しているという。

2月1日のキャンプインから逆算し、3カ月前に土入れを行い、芝の生育と管理も並行させる。来年の2月1日は、必ず球音と歓声が響く-。そう信じて逆算して、手入れをしていた。「マー君が投げた後は、他の投手よりも土が掘れているんですよ。子どもたちは、野球教室など楽しみにしていたと思う。残念ですね…」。目を赤らめながら教えてくれた。


楽天の春季キャンプが行われていた久米島野球場のグラウンド内(撮影・桑原幹久)
楽天の春季キャンプが行われていた久米島野球場のグラウンド内(撮影・桑原幹久)

久米島島民は心から野球人たちを歓迎し、絆を深めてきた。練習を終えると公民館に集まって、交流会を開いた。町長、お年寄りに子ども、警察官。三線の音色に乗って、一緒になって踊った。16年の歳月をかけ育んだ縁は、単なる観光資源という関係をはるかに超えていた。

コロナが理由で縁を終わらせるわけにはいかない。おおらかな離島が変わり始めた。今年キャンプを行った沖縄本島の自治体に連絡を取り、感染対策の調査を進めている。球団との話し合いも継続している。宮里は誓うように言った。「以前のように、久米島で安心してキャンプを開催していただけるよう、準備を進めていきます」。

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■掲げる野球の「普及」

経営スケールの小さい独立リーグでも「チェンジ」の胎動が聞こえていた。

「思い切って切り替えて、環境が変わった中で、21年に何をすべきか。方針の見直しをしよう」。ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)に所属する埼玉武蔵ヒートベアーズの今井英雄球団代表は、感染拡大が本格化する前、昨年の3月には腹をくくった。

経費削減を徹底し、スポーツ庁などの助成金、補助金を申請したが、最終的には赤字になった。1試合平均の観客動員は、昨年が161人。403人だった19年から約4割に落ち込んだ。ただ、自前の球場を持たない独立リーグの動員力はそもそも小さく、収入の75%はスポンサーが占めている。

ユニホームや球場のフェンスに広告を載せるだけで、満足を満たすことができているのか。そもそも、令和の時代にふさわしい関係なのだろうか。「野球が好きなトップが、お金を出していた面もあると思いますが、今の時代は、社員が認めない。それに、今の経済環境の中で縁に頼ったり、頭を下げてスポンサーを募るのは、無理だろうと思います」。相手の側に立って考え、聞き取りを重ね、各企業の分析に着手した。


ファンクラブのチラシを手にするBC・埼玉の今井球団代表(撮影・保坂恭子)
ファンクラブのチラシを手にするBC・埼玉の今井球団代表(撮影・保坂恭子)

露出。福利厚生の一環。CSR(企業の社会的責任)。スポンサーになってくれる、それぞれの理由があった。「『ヒートベアーズにスポンサーしていて良かったね、価値があったね』と思っていただきたい」との思いが一層、強くなった。

力点が明確となり、集中してサービス改善を図った。法人会員を含めたファンクラブの内容を刷新。球場アナウンスの体験、1日球団職員、監督やコーチとの食事会…モノ消費からコト消費へとチェンジした。受け身の姿勢もやめた。2月、実業家の堀江貴文をアドバイザーに招いた。4月には、鉄道ファンの根強い支持を得る秩父鉄道とのコラボレーションを実施する予定だ。

単年度黒字という21年の目標はある。ただ今井には、もっと大きな夢がある。

「視点を置くべきところは『普及』なのではないか。打って投げる、野球の楽しさを普及する。地域に根付いたスポーツは、人を元気にする力がある。応援することで、自分の存在を表現できる。スポーツには、すごく可能性があるんです」

試合を行う熊谷市との連携。同じ埼玉に拠点を置く西武ライオンズとの連携。早速、西武の育成投手・出井敏博の長期派遣を受け入れ、実戦の場を提供することにした。チームに所属する宮之原健外野手が主催する野球教室は、今年からアカデミー事業として組み込んだ。埼玉にどっしりと根を張り、野球を普及させ、地域と共生する。

平成以降の野球界で最大の危機は、03年の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題とされる。激流にもまれて誕生した楽天は10年後に日本一となり、地域密着という新しい球団経営のモデルケースとなった。ウイルスは人間のつながりを引き離そうとする。困難に直面したとき、人間は届くところから手を取り合って耐え、つながりを強めてあらがい、打ち勝とうとする。(文中敬称略)【保坂恭子、桑原幹久】