今回は、日本初のプロチアパフォーマーとして活動をする田代将平です。2015年チアリーディング世界選手権の男女混成部門で2位。現在は世界的サーカス集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」のメンバー入りを目指しています。夢にかける思いを聞きました。

シルク・ドゥ・ソレイユのメンバー入りを目指す田代
シルク・ドゥ・ソレイユのメンバー入りを目指す田代

田代はもともと「(筋肉番付などの)テレビの影響でアクロバットの格好良さに憧れがありました」と話す。小学校時代には、元体操選手の池谷直樹がマッスルミュージカルで訪れ、影響も受けた。

大学は、教員を目指して日体大に入学した。知り合いがチアリーダー部所属で、軽い気持ちで仮入部。友人らは「自分たちが入部してチア部を変えよう!」と意気込んでいたが、2回目の仮入部で「やっぱり(入部を)やめる」と言い出した。逆にやる気に火がついた。「だったら自分が入部する!」。

アクロバットができるという期待もあった。しかし、そこに楽しさはなく「1週間でやめようと思いました」。入部1カ月で左足を剥離骨折。やめたい気持ちは募ったが、コーチや先輩は親身になってくれた。「せめてこの人たちのために大会は出よう」と2012年ジャパンカップに出場。「13年チアリーディング世界選手権のセレクションで日本代表に選ばれたら(やり切って)きれいにやめることができる」とも考えていたが、結果は落選だった。

初めてチアリーディングで悔しさが芽生えた。4年時の15年、セレクションの再挑戦を決意。平日は4、5時間、土日は12時間の過酷な練習に加え、毎日約1時間のトレーニングやスタンツで一番難しい技を極めた。「これだけやったから絶対受かるだろうという自信がありました。全て完璧にできました」。結果は、男女混成チームの日本代表メンバーに選出。さらに同年11月に開催された世界大会では2位を獲得した。

しかし、田代は「負けて銀、勝って銅の気持ちを感じました」と振り返る。世界的サーカス集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」のメンバー入りを目指そうとした直後に、左足膝蓋(しつがい)骨を骨折。この頃から新たな目標として「日本のチア界を盛り上げたいという思いが芽生えました」という。15年12月から、生バンドとアクロバットを融合させる舞台、サムライ・ロック・オーケストラの一員となり、日本初のプロチアパフォーマーとしての活動をスタートさせた。昨年4月からはフリーランスとなり、大学でチアの指導や体操教室、メディア活動などを行うようになった。

そんな中、断念したシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマンスにチアリーディングが取り入れられることが決まる。昨年末にそのオーディションが行われたが、そのタイミングを逃してしまった。次のチアリーディングのパフォーマー募集がいつかは分からないが、夢への思いはあふれるばかりだ。

「世界大会で優勝できなかった経験があるからこそ、今の夢や目標がある。シルク・ドゥ・ソレイユへの思いや背負うものも、当初と今では全く違う。今までやりたいことをやってきたが、そのやりたいことに対して、みんなが応援してくれ、喜んでくれ、感動してくれた。応援してくれるたくさんの方々から勇気を与えてもらい、元気をもらった。だからこれからもやりたいことをやって、今度はそれを返していきたいし、夢を与えたい。誰にでも可能性はあるってことを伝えていきたい。それが応援して支えてくれる人への感謝だと思う。だからこそ、ここで終わりたくない。シルク・ドゥ・ソレイユに受かることが人生の夢」

プロチアパフォーマーとして新たな歴史をつくる。次のチャンスをつかむ。「唯一無二の先駆者になりたい」。諦めなければ夢はかなうことを証明するため、挑戦は続く。

日体大チアリーダー部時代の田代
日体大チアリーダー部時代の田代

<チアリーディングの歴史>

発祥は米国。100年以上前に「男性」がアメフトの応援をするようになったことが始まり。第2次世界大戦で軍隊に徴兵された男性が少なくなり、代わりに「女性」もチアをするようになった。

◆田代将平(たしろ・しょうへい)横浜出身の26歳。株式会社コラントッテのアドバイザリー契約選手。映画にアクロバットで出演するほか、ももいろクローバーZのバックダンサーなどを務めている。

◆シルク・ドゥ・ソレイユ カナダのサーカス劇団。高い芸術性で世界的な人気を誇り、パフォーマーを目指す若者のあこがれ。新型コロナウイルス感染拡大による公演中止で劇団の財務状況が逼迫(ひっぱく)し、破産申請する選択肢も含めて再建策を検討していると報じられた。

2015年チアリーディング世界選手権の男女混成部門で2位になった田代
2015年チアリーディング世界選手権の男女混成部門で2位になった田代