1960年代半ば、エレキギターを持つ若者には「不良」のレッテルが貼られた。爆発的なブームは中学、高校生にも広がり、警戒した全国各地の教育委員会は禁止令を発出した。笑い話ではなく実話である。確かに電気のごう音は近所迷惑だったが、エレキを抱えて集う長髪の若者に対する、保守的な大人社会の拒絶反応だったように思う。

東京オリンピック(五輪)のスケートボード競技をテレビ観戦して、半世紀も前のことを思い出した。若者に人気のスケートボードに、眉をひそめる中高年は少なくない。「騒音がうるさい」「ぶつかりそうになった」などの自治体への苦情も多く、「使用禁止」の赤い看板も公園でよく目にする。迷惑行為は論外として、排除の根底には、あのエレキギターと同じ異質なものに対する偏見もあるような気がする。

ストリート種目で金メダルを獲得した堀米雄斗と西矢椛の見事な大技と、自然体でさわやかな振る舞いに、スケートボードへの印象が変わった大人も多かったのではないか。スケボー少年少女たちは社会の変容とともに進化して、洗練されてきたのだ。スケボーに冷たい日本の環境で育ち、よくぞ世界の頂点に立ったものだと感心した。奇抜なファッションも個性豊かで好感が持てた。

20年ほど前、知人の結婚式でギタリストの寺内タケシさんと同席した。「エレキの神様」と呼ばれた日本の第一人者は、70年代から全国の中学や高校を巡る演奏会を続けていた。抜群の演奏テクニックで社会の偏見と対峙(たいじ)し、エレキを魅力的で格好いいものへと変えたパイオニア。「まだ偏見はありますよ」とも話していたが、エレキは市民権を得て、今では誰もが練習できる音楽スタジオが各地にある。

国民が注目する東京五輪でのこの競技の日本勢のメダルラッシュは、国内のスケートボードの認知度を一気に高めた。これをきっかけに競技環境が変わり、日本のスポーツ界に根強く残る体育会特有のあしき体質が変わり、何より若者と中高年に間に高くそびえる認識の壁を取っ払う可能性を秘めている。いつか堀米や西矢がパイオニアと呼ばれる日がくるのだと思う。

一夜明け会見で堀米は「日本はスケートボードが禁止の場所がすごく多い。もっといい環境が増えていったらいいなと思う」と話した。これからブームが起きて、スケボーを抱えた子どもたちが公園に群がるだろう。エレキのときのように排除するのではなく、受け入れる場所をつくる社会になってほしい。それが「多様性と調和」を理念に掲げる東京五輪のレガシーになると思う。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)