カーリングにスピード感や激しさはない。しかも2時間半の長丁場。なのに目が離せない。何手も先を読み、正確無比な軌道で相手のストーンを弾いた時には、完璧な4回転ジャンプを見たように感動する。一方で、緊迫した場面に飛び交う「大丈夫だよ」「ナイス」の黄色い声には、思わずほっこりしてしまう。スポーツの魅力はこんなに多様で、奥が深かったのだと気づかされた。

北京五輪で日本代表のロコ・ソラーレが決勝に進出して、銀メダル以上を確定させた。きっと気の遠くなるほど練習を重ねたのだろう。うまくいかず、涙した日もあったはずだ。長時間の試合は気力も体力もすり減らす。なのに彼女たちの戦う姿は、笑顔が絶えず、楽しげなのだ。“過酷な身体運動で、勝利は汗と涙の証し”という、多くの日本人が抱く、スポーツの固定観念が打ち砕かれる。

64年東京五輪で、バレーボール女子「東洋の魔女」の金メダルに日本中が沸いた。鬼と言われた大松監督の猛特訓に耐え抜いて頂点に立ったストーリーは感動を呼び、「スポ根漫画」が一大ブームとなった。その世界観を日本のスポーツ界はずっと引きずってきたのだが、遊びから発展したスポーツは、本来、自発的に楽しんでプレーするもの。カーリングにその原点を見た気がした。

今大会はフィギュアスケート女子の15歳の金メダル候補がドーピング検査で陽性反応を示し、出場の可否をめぐる対立が起きた。暫定的に出場したフリー演技直後には、転倒を繰り返して涙にくれる彼女を、コーチが叱責するシーンがカメラに映った。いきすぎた勝利至上主義を目の当たりにして、気分が悪くなった。だからロコ・ソラーレの笑顔には、心が洗われる思いがした。

91年11月、翌年のアルベールビル五輪の公開競技になったカーリングを初めて取材した。予選大会に出場した男子日本代表は、北海道斜里郡小清水町のミラクルティカーズ。メンバー5人全員が専業農家だった。日中は小麦の栽培に追われ、練習は夜に週2日と聞いて、他の五輪代表たちとのギャップの大きさに、拍子抜けしたのを思い出した。

北海道東北部の農家や漁師の冬の遊びから始まった日本のカーリングが、世代のバトンを受け継いで、世界の頂点を争うまでに成長したのだ。そう思うと何とも感慨深い。31年前、大きな石を滑らせた氷面を、ほうきのような用具で必死にゴシゴシ掃く選手たちを見て「これがスポーツなのか」と思わず失笑した自分が、今は恥ずかしい。【首藤正徳】

スイスに勝利し喜ぶロコ・ソラーレの選手たち(撮影・菅敏)
スイスに勝利し喜ぶロコ・ソラーレの選手たち(撮影・菅敏)