子供を育てていく中で、娘がどんな子に育って欲しいかということを考えるようになった。

私が飛び込みを始めたのは6歳の時。そのころから指導してもらっていたコーチは「試合で勝ちさえすればあいさつなど出来なくてもいい」というほど、とにかく勝負にこだわるスタイルだった。まさにスポ根マンガの鬼コーチそのもの。練習中の私語は一切許されず、言われたことには絶対に従う。そんな厳しい練習環境だった。

それでもなぜ私が飛び込みを続けられたのかといえば、黙って耐える先輩たちの姿がカッコイイと思ったからだ。全国優勝するような選手がたくさん所属していたチームだったので選手たちのモチベーションは高く、自分には出来ないと思ったことや厳しい要求にも何とか応えようと挑戦する真剣な姿を、いつも尊敬のまなざしで見ていた。

しかし、そんな努力の日々を過ごしている先輩たちに対し、コーチは試合で優勝しても決して褒めることは無かった。それは私に対しても同じだった。

私は負けず嫌いで逆境に奮起するタイプだったので、何とか目標を見失わず頑張ることが出来たが、それでも何度も飛び込みをやめたくなったし、嫌いにもなりかけた。

今では、本当にあの指導方法は正しかったのか? と考えることも増えた。でも私を強くしてくれたのもコーチ。

指導者との出会いは、競技人生を大きく左右するとても重要なポイントだ。選手全員に対して同じ指導法であっても、それぞれ受け取り方も解釈も違い、その後の人生にも大きく影響する重要な教育の場だと思う。私自身は、黙って従ってきたジュニア時代の疑問について、大人になってから意味を考えているが、明確な答えは出ない。残念なことに、聞きたくてももうコーチはこの世にいない。


現役時代の筆者(2015年)
現役時代の筆者(2015年)

昔はまかり通った指導方法が今の時代には合わないと見直されることも多くなった。私は「あいさつが出来なくても勝てばいい」とは思わない。

競技者である前に人間としてどうであるべきかという指導をきちんとすることが、選手の将来を見据えた指導方法だと今では感じる。

私もジュニアの頃は何も分からず、ただコーチの言いなりになっていた。だがシニアに上がり日本代表として戦うようになってから、それまでの自分ではダメだと気がついた。強くなればなるほど、たくさんの方々のおかげで私という1人の選手ができているのだとひしひしと感じた。出来るならばまだ活躍する前の段階で、コーチの口からそのことを教えて欲しかった。

ジュニア時代、「強い」というだけでどれだけ生意気な選手だったか。振り返ると恥ずかしさすら感じてしまう。

母となって思う。わが子がもし本気で何かをしたいと言い出した時には、もちろん全力で応援したい。だが、まずは人としてきちんとした考えを持ち、行動できるようにすること。それを前提として、自分の目標に向かって歩んでいってほしい。

(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)