先月、ジャッジとして参加した「ワールドカップ・ベルリン大会」。久々に訪れたドイツは、私が日本代表として初めて国際大会に出場した思い出の地だ。当時は中学3年生。生まれて初めての海外だった事もあり、とても印象深く心に残っている。

ブランデンブルク門の前でポーズを取る筆者
ブランデンブルク門の前でポーズを取る筆者

2002年に開かれた世界ジュニアの開催地は、アーヘンだった。

古い建物が多いヨーロッパ。アーヘンも独特な空気感だった。教科書でしか見た事のない素敵な街並みに目をキョロキョロさせ、この先に何が起こるのかとワクワクした。

この大会に日本代表として選抜されたのは、私の他にもう1人。橋本有紗という同い年の女子選手だった。2人とも初めての海外遠征だったが、女子が2人揃えば怖いもの知らず。とにかく楽しかった。様々な国籍の選手が練習の順番待ちをしていることも、目の前で聞いた事のない言葉が飛び交うことも全てが初体験。とても刺激的な日々だった。

試合は年齢別で行われ、私たちは14~15歳のBグループだった。当時はまだ、今のようなデジタル化は進んでいなかったため、直筆の種目用紙に自分が飛ぶ種目を書き、提出していた。初めての英語表記の種目用紙にもドキドキした。期日までに提出し、ホッとしていたのも束の間。試合直前になり、自分の種目を書き間違えて提出していた事に気がついた。焦って泣いても時すでに遅し。試合本番で、全く練習していない技を飛んだという苦い記憶がよみがえった。

ベルリン大聖堂
ベルリン大聖堂

しかし、それだけでは終わらなかった。

当時はまだあまり世界でもメジャーではなかったシンクロ種目。同い年の女子2人ということで思い切ってエントリーし、出場した。試合は最終日だった。「いい演技をして大会を終えよう!」と2人で意気込み、頑張って練習した。

しかし、試合当日の朝。ノックが聞こえドアを開けてみると、コーチが立っていた。「出発の時間だよ」の言葉に2人とも飛び起き、慌てて準備をした。試合への影響はなかったものの、それ以降は寝坊にとても敏感になった。試合当日の寝坊はあの1度きりだ。

その他にもまだまだ色んな事があった。しかし今では全てが笑い話だ。

そして素敵な思い出もある。

試合最終日の夜にはパーティーが開かれた。様々な国の選手との交流が出来る貴重な場。私たちは日本の文化を感じてもらおうと浴衣で参加した。たくさんの選手から「素敵だね」と声をかけてもらい、たくさん写真を撮った。とても嬉しかった。私は中学生まで、ずっと飛び込みを辞めたいと思いながら続けていた。しかし、この世界ジュニアをキッカケに、もっと頑張ろうと思えた。私にとってこの大会は、飛込人生に大きく影響を与えた重要な大会となった。

ベルリンの壁
ベルリンの壁

もう20年以上も前の話。それでも脳裏には、様々な思い出が映し出される。そんな懐かしさに浸りながらも、今回訪れたベルリン。同じ国ではあるが、前回とは違った姿を見る事ができた。首都という事もあり、観光地となっている場所は、海外の人々であふれていた。ベルリンの壁やブランデンブルク門、そしてベルリン大聖堂など、アーヘンへ行った時には見られなかったドイツの歴史を体感する事が出来た。

これまで、たくさんの国へ行き、様々な文化に触れてきた。その中で思うことは、やはり「世界平和」だ。過去の歴史を変えることはできないが、歴史に触れ、同じ過ちを繰り返さないことはできる。海外にできた、たくさんの友人たちの母国も平和であって欲しい。そう思えるのは、飛び込みをやってきた事が大きく影響している。この気持ちを大切に、今後もスポーツを通して日本国内のみならず、世界へも目を向けていきたいと思う。(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)