スケートボードが華々しく、衝撃的に、それでいてゆる~く、五輪にデビューした。

炎天下の有明アーバンスポーツパーク、地元の東京・江東区で生まれ育った堀米雄斗(22=XFLAG)がベストトリックで高得点を連発。無観客のはずのスタンドが沸き返った。テレビで見ていた多くの人たちも、プロスケーター瀬尻稜の「雄斗、おめでとう。いやー、かっこいいっすね」というコメントに、心を動かされた。

多くのスケーターがタトゥーを入れ、ポケットのスマホから流れる音楽を聞きながら、街中の「ストリート」を模した階段や手すりでトリックを披露する。勝ち負けや得点だけでなく、カルチャーやスタイルを大切にし、音楽やファッションにもこだわる。そういう「新しいスポーツ」は、初めて見る人にとっても新鮮に映ったに違いない。

初めて堀米に会い、話を聞いたのは、この「競技」が東京オリンピック(五輪)の追加種目候補に決まった15年9月。ローラースポーツの1種目としての候補入りで、日本ローラースポーツ連盟(JRSF=当時)が都内で開いた会見に、この日テレビ解説をしていた瀬尻稜とともに「東京五輪の星」として呼ばれていたのだ。

実は、国際ローラースポーツ連盟(FIRS=当時)が追加種目として申請していたのは「インラインスケート」と「ローラーマラソン」だった。しかし、ともに落選。代わりに入ったのが追加で申請した(させられた)スケボーだった。

背景には、若者の五輪離れを危ぶんだIOCの思惑があった。冬季大会のスノーボード成功を追い風に、同じ「横乗り系」のスケボーやサーフィンなどの五輪追加を模索。IOC未承認の国際スケートボード連盟の頭越しに承認団体のFIRSにスケボーの運営を託し、組織委員会には追加種目にするよう働き掛けた。

6年前の会見では、JRSF関係者も複雑な表情を浮かべていた。落選したローラーマラソンなどの選手はそろいの日本代表ユニホームでがっくり。私服のまま会見に引っ張り出された当時18歳の瀬尻と16歳の堀米が「面倒くさいなあ」とでも言いたげに並んだ。

五輪など考えもしなかった2人は、何度も首をひねりながら記者の質問にも生返事。「東京五輪の目標は?」と聞かれた瀬尻は、隣に座るJRSF平沢勝栄会長(当時)の「金メダルって言って」の声を無視して「そうっすね~、楽しみたいで~す」と言った。6年前はそんな感じだった。

直後に堀米にインタビューした。ドーピング検査など五輪選手になった時のことを話すと「じゃあ、五輪はいいです」と言い、将来の目標を「誰もやっていないヤバいトリックを決めたい」と話していた。

6年で大きく変わる。軒を貸して母屋を取られた形のFIRSは五輪競技の統括団体となり「ワールド・スケート」に改称した。堀米は米国に移住し、自身のボードも発売。次々と夢をかなえると同時に、少しずつ気持ちも五輪に傾いていった。瀬尻は五輪よりもスケボー本来の「楽しむ」ことを求め「もう大会はいいです」と話し、ビデオ撮影やパークのデザインなど裏方への道を選んだ。

多くの競技は「五輪が目標」。そのために「より速く、より高く、より強く」自身を鍛える。しかし、スケートボードの世界はまったく違う。スケーターたちが口をそろえるのは「通過点」。表彰式のゆったりとした雰囲気も、また他の競技とは違う。初めて五輪で行われたスケートボード。堀米の金メダルとともに、競技スポーツとしての大きな1歩を踏み出した。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)

スケートボード男子ストリート決勝で演技する堀米雄斗(共同)
スケートボード男子ストリート決勝で演技する堀米雄斗(共同)
スケートボード ストリート男子で金メダルを獲得した堀米雄斗(AP)
スケートボード ストリート男子で金メダルを獲得した堀米雄斗(AP)
男子ストリートで優勝し、金メダルを手にする堀米雄斗(共同)
男子ストリートで優勝し、金メダルを手にする堀米雄斗(共同)
堀米雄斗プロフィール
堀米雄斗プロフィール
※年齢は2021年7月24日現在
※年齢は2021年7月24日現在
スケートボードのストリート男子で演技する堀米雄斗(AP)
スケートボードのストリート男子で演技する堀米雄斗(AP)