「What do we do at school?(僕たちは学校で何をしているでしょうか?)」

 5月18日、埼玉県北西部にある寄居町の男衾(おぶすま)小学校。ブータンからやってきた若者3人が、小学6年生の児童72人に対し、ブータンという国についてクイズ形式の授業を行っていた。

 スクリーンに映し出された質問、3択の回答項目。児童たちは興味津々の様子で、流ちょうな英語を話す“先生”たちの言葉に聞き入っている。正解が出た後、通訳の男性がこう説明した。

 「ブータンでは小学1年生から算数、理科、社会の授業は英語でします。だから僕たちは、英語が使えるんです」

 「えーっ!」

 一斉に感嘆の声が上がる。そんな反応を笑顔で受け止めた3人は、2020年東京五輪出場を目指すブータン陸上チームの選手たちだ。くしくも、昨年のリオデジャネイロ五輪の陸上1万メートルに出場した設楽悠太選手の母校。関根光男校長は「子供たちの視野が広がる授業です。“夢を育てる学校”というテーマを掲げていますが、今日は子供たちにとって忘れられない1日」と満足そうに話した。

男衾小学校の児童から歓迎されるブータンの選手たち
男衾小学校の児童から歓迎されるブータンの選手たち

■5泊6日の行程で埼玉・寄居町へ

 東京五輪に向け、さまざまな動きが始まっている。インドと中国に国境を接した人口76万5000人、九州ほどの国土を持つ山岳国ブータン。「幸せの国」としてよく知られる、そのブータンが寄居町と結び付いた。社団法人「アスリートソサエティ」の代表理事長を務める為末大氏の仲人により、ブータンオリンピック委員会(BOC)と寄居町が昨年10月、同国の陸上チームによる事前キャンプ実施協定を締結。そして今回、1年前も視察に訪れていたBOCが、再び寄居町の招待で来日。選手、コーチを含めた8人の一行は5泊6日の行程で、さまざまなイベントを通して友好関係を深めた。

 学校訪問に陸上教室などの親睦会、そしてホームステイ。町民たちの「おもてなし」の心はブータン側の心にも響いた。スポーツ調査部長官、ナムゲル・ワンチュク氏(40)は「日本とブータンはこれまで農業、インフラ整備を通じて友好関係を築いてきた。今後はスポーツでもっと仲良くなれると思う」。短距離を専門とするディネシュ・クマル・ダカル選手は「寄居町はブータンに似てて自然が多く、懐かしい感じがする。人も温かく、礼儀正しい」と笑顔だった。

小学生に授業を行うブータンの選手たち
小学生に授業を行うブータンの選手たち

 一方、受け入れる側も満足感でいっぱいだった。寄居町総合政策課主任の大谷夕紀さんは「町の人たちからも好評です。学校給食でも1日、ブータンメニューを出しました。(トウガラシが主食だが)辛さは抑えめです」と笑った。ブータンをサポートする事業はもともと東京五輪を契機に町の活性化を図ったものだが、双方の関係は深まり、その狙いはより進んでいる。大谷さんは「子供たちにとって小さい頃の触れ合いは忘れない。1人1人に何かが残っていくものなので、2020年が終わった後もブータンとの文化的交流が続いていけば」と言う。

 ここで「オリンピック・レガシー」について考える。国際オリンピック委員会(IOC)が02年の総会で五輪憲章に「レガシー」を盛り込んだのが始まり。五輪開催を契機として、長期にわたり、社会に生み出されるポジティブで持続的な効果のことを示している。もともと有形にとらわれず、無形やソフト面も含めた幅広いものだ。ただ一般的にレガシーと言うと、大金を投じて大掛かりな箱ものをつくることが先行し、大会終了後には「負の遺産」となるネガティブなイメージばかりが増幅している。それが現状のように思う。

 BOCの親善大使を務め、ブータン陸上チームの強化に関わっている為末氏は「こういう(寄居町とブータンによる)レガシーは安いですからね、乱発できるはずなんですよ。選手1人にコミットすれば、ほとんどお金はかからずにできるはず。ハードみたいながっちりしたものも必要でしょうけど、こういうソフト面で国とつながるレガシーはずっと残る」と言う。

授業終了後、児童と記念撮影に収まるブータンの選手たち
授業終了後、児童と記念撮影に収まるブータンの選手たち

■東京五輪を契機にレガシーづくり

 冒頭で紹介した授業のひとコマ。ブータンの英語教育というのは、産業のない小さな国ゆえの教育という施策である。こういう国際交流を経て、これまで気に留めることもなかった小国のことを知る。それが何かの始まりとなることもあるだろう。単に事前キャンプ地となり、その時の思い出だけに終わらせてしまったら、もったいない。

 オリンピックという宴は2週間で終わる。実際のところブータンの陸上選手が五輪に出場するための参加標準記録(例えばリオ五輪の男子100メートルは10秒16)を突破することは極めて難しく、各国から1人だけ認められる特別枠での出場が現実的だ。つまり寄居町は事前キャンプとして1人の選手を迎えるにすぎないが、見ているところはブータン全体だ。五輪は目的でなく、よりよい未来への手段。そこには「レガシー」という言葉が浮かび上がってくる。

 2020年のその先に何を残すのか-。寄居町とブータンの“幸せな”取り組みは、同じアジアに生きる仲間として50年、100年先にもつながる大きな1歩だと考えている。【佐藤隆志】

 ◆佐藤隆志(さとう・たかし)1991年(平3)入社。編集局整理部、山梨支局、スポーツ部などを経て、現在はメディア戦略本部に所属し、デジタル編集に奮闘中。

左からペマ選手、ディネシュ選手、ナムゲル長官、タシ選手
左からペマ選手、ディネシュ選手、ナムゲル長官、タシ選手
為末大氏から指導を受けるブータンの選手とコーチ
為末大氏から指導を受けるブータンの選手とコーチ