日本時間9月22日、午後10時半過ぎ。フィギュアスケート女子の紀平梨花(16=関大KFSC)が臨んだ、オンドレイ・ネペラ杯(スロバキア・ブラチスラバ)フリーの演技に衝撃が走った。

シニア初戦ながら、ショートプログラム(SP)との合計218・16点を記録して優勝。女子世界7人目の3回転半(トリプルアクセル)ジャンパーとして知られていた16歳は、冒頭で3回転半-3回転トーループの連続ジャンプを決め、出来栄え点(GOE)で+2・24点。さらには2本目の3回転半に挑み、+2・40点の好ジャンプできっちりと成功させた。

女子における国際スケート連盟(ISU)公認大会でのフリー2本の3回転半成功は、10年バンクーバー五輪銀メダリストの浅田真央さん以来、2人目。得点表示を見た際の万歳から、素直な喜びが伝わってきた。

私が初めて紀平に出会ったのは、2016年9月26日。今から約2年前、大阪・伊丹空港の到着口だった。当時はフィギュアスケート担当ではなかったが、目的はジュニアグランプリ(GP)シリーズ第5戦スロベニア大会で、女子史上7人目の3回転半を決めた紀平の話を聞くこと。当時中2だった少女の、純朴なコメントが印象深かった。

「トリプルアクセルは集中力がないときはダメだけれど、『跳べる!』と思ったら跳べるようになってきました」

「トリプルアクセルは『真央ちゃんがうまい!』っていうイメージ。今から5~6年前に、大阪の大会で友達と一緒に手紙を渡したことがあります」

「これからも真央ちゃんとか、(宮原)知子ちゃんを見習っていきたいです」

そこからはジュニアながら、3回転半ジャンパーとして徐々に注目を集めていくようになった。だが、16年11月の全日本ジュニア選手権は11位。大きな大会で練習通りの成果が出ず「緊張すると、脚に力が入らない」。演技中もジャンプ時のカメラのシャッター音が気になるなど、精神面での壁にぶつかった。

そんな紀平がきっかけをつかんだのが、ジュニア2年目の17-18年シーズンだった。12月に行われた全日本選手権ではシニアに交じり、平昌冬季五輪(ピョンチャンオリンピック)代表切符をつかんだ宮原知子、坂本花織の次点となる3位に入った。

「ものすごい緊張感があったし、周りからは(年齢制限で五輪代表にはなれないため)『気楽にいけたんじゃない?』って結構言われるんですけれど、私としてはそのシーズンの中では一番、緊張していました」

その中で国際スケート連盟非公認大会ながら、フリー2本の3回転半を決め「調子を合わすことができたことが自信にもなって、試合でそれだけ緊張しても跳ぶことができた」と自信をつかんだ。18年3月の世界ジュニア選手権では8位と好不調の波はあるものの、この頃から大舞台での「頼もしさ」が増したことを周囲も口にし始めた。

迎えたシニア1年目の今季。夏は「スピンのレッスンもたくさんやってきたので、そういったところでも点数をもらえるようにしたいです」とジャンプ以外についても多くの時間を割き、向き合った。当然ながら2年前の3回転半初成功から多くの経験を積み、今もその途上にいる。3回転半などの助走、空中での動きも徐々に難度を上げており、今大会のSPでは3つのスピンとステップで全て最高評価のレベル4を獲得するなど、全体的な成長を印象づけている。

とはいえ、まだ高1だ。今後はシニアのGPシリーズデビューなどで注目度はさらに増し、目標とする22年北京五輪までに新しい壁も現れることだろう。今シーズンを前に、指導する浜田美栄コーチはこう語っている。

「今シーズンの彼女のテーマは『言い訳をしない』なんです。どんな状況でもできる人はできるので、それを克服していく。どういう条件でもやれる人はやれる。氷のことにしても、時間のことにしても、みんなが同じ条件でやっているので、言い出したらきりがない。それが気にならなくならないと、本当に強い選手にはなれない。うまい選手じゃなく、強い選手が勝つので、それは常に言っています」

伸びしろは高難度のジャンプだけではない。浜田コーチは続ける。

「彼女は元々踊るのが好きなんですが、まだまだ子どもで、深い表現力っていうのは身につけていない。人生経験もありますよね、それは。そういうのも今後、加えていければと思っています」

教え子を厳しく見つめる同コーチも「才能は本当にあります」と言い切るなど、その潜在能力は魅力的だ。16歳が持つ大きなスケールと、繊細な心。周囲はジャンプの出来に注目しがちになるが、新しい世界を懸命に駆け抜ける過程に、成長の道しるべがあるのだろう。

【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)


◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。兵庫・武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技を担当し、18年平昌五輪では主にフィギュアスケートとショートトラックを取材。