ドーピング違反者が、東京オリンピック(五輪)を夢見てはいけないだろうか。

11月9日、静岡県富士水泳場。競泳社会人選手権第1日の男子50メートル自由形決勝。2レーンの川崎駿(23=JFE京浜)は両腕を必死で回した。22秒57。優勝した中村克に0秒15差、難波暉(あきら)と同タイムの2位。歓声を上げるスタンドの仲間たちに右拳を突き上げてガッツポーズした。

「(決勝の)メンバーを見て、表彰台は厳しいかなと思った。2位にはびっくり。自己ベストにあと0秒18なので戻ってきている」と声を弾ませて喜んだ。

川崎は、競泳界国内初のドーピング違反者だ。17年9月の日本学生選手権で、日本アンチ・ドーピングの検査を受けて陽性となった。摂取していた海外製サプリメントに、成分表に記載されていない禁止物質が混入していた(汚染製品)。「最初はいたずら電話なのか、と思った」。故意でないこと、汚染製品が理由だったことで資格停止は4年から7カ月に短縮された。

ただ違反は違反だ。当時、大学4年で就職の内定は取り消し。家に引きこもり、水泳を辞めようと思った。OBの助けもあり、留年して18年夏に再び就職試験に臨んだ。川崎の過去を知った上でJFE京浜側から「そういうことは気にしないから、また水泳を頑張って下さい」と採用された。

今年から社会人スイマー1年目。職場は倉庫で、朝8時から午後5時までフルタイムでこなす。水泳の練習は、午後6時から1~2時間程度。「仕事が終わって(水泳部の)皆も疲れているけど、水泳が好きなので。続けられているだけでも幸せ」と目を細める。

仕事と競技の両立に少しずつ慣れてきていた。10月26日、短水路(25メートルプール)日本選手権50メートル自由形で予選を通過した。決勝は21秒94で7位だったが「予選を通過できるかわからなかったけど、久しぶりに大きな舞台を味わえたことがうれしい」と喜んだ。そして2週間後の社会人選手権で2位。川崎は陽性反応から約2年2カ月をかけて、全国大会の2位になった。

ドーピング違反者が競技に復帰して、全国大会の決勝に出る、表彰台に上がる-。他の競技を見渡しても国内では異例といえる。

ドーピングに対しクリーンなことは日本の美点だが、その裏返しで違反した選手への目は厳しい。実際に違反選手が再び一線級で活躍するケースはほぼない。ドーピング違反=キャリアの終わりという暗黙の了解に近いものが確かにある。

川崎は来年4月、東京五輪日本代表選考を兼ねた日本選手権に向かう。かつて「僕が辞めなかったのは、東京五輪にどうしても出たいという気持ちがあったからです」と言った。競泳の選考は公平で、タイムがすべてだ。五輪への道は、若手にも、ベテランにも、違反から復帰した選手にも、平等に開かれている。

50メートル自由形は派遣標準記録21秒77を切って、2位以内に入れば代表内定。日本記録21秒67を持つ塩浦慎理と中村克が2強。川崎は「今の実力だと決勝にいけるかどうかというレベル。仕事してしっかり練習して、何とか表彰台に食らいつきたい」という。現時点で代表入りは簡単ではない。誰もが応援してくれる道ではないことも事実だ。それでも川崎の道を見届けたい。

ドーピングは「罪」で、資格停止は「罰」だ。ただ罰がある以上、それを終えた選手が夢を持つことは自由なはずだ。【益田一弘】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の43歳。五輪は14年ソチでフィギュアスケート、16年リオで陸上、18年平昌でカーリングなどを取材。16年11月から水泳担当。