80年代後半まで、スキー雑誌を出している出版社で編集者をしていた。バブル景気全盛。スキーメーカーの広告だけで、雑誌の厚さが毎月、膨らんでいった。すでに30年以上前。映画「私をスキーに連れてって」に代表されるように、当時、スキーと言えばアルペンだった。

先輩には、アルペンスキーがどれだけ世界的な競技で、重要かということを、嫌というほどたたき込まれた。各国を転戦するため「白いサーカス」と呼ばれるW杯を中心に、世界選手権と五輪。欧米を問わず世界中で人気で、冬季競技の王はアルペンだという認識は、新聞記者に転職した今でも変わらない。

9日に行われたアルペン女子回転には、88人の選手が挑戦した。今大会の女子個人競技で、最も多い出場ではないだろうか。ドイツ、スイス、米国など欧米の強豪に混じり、タイ、マレーシア、台湾など、雪には縁が少ないアジアの国々の選手も参加した。

1回目、最終88番滑走は、19歳で五輪初出場の李■(王ヘンに文)儀(台湾)だった。旗門を通過できないと、そのまま不通過の旗門まで何とか戻り、またレースを再開した。1、2回目ともに完走し、2回完走した50人中、ダントツのビリ。金メダルのブルホバ(スロバキア)から1分1秒06も遅れた。しかし、2回目の完走後、ストックで雪面をたたき、うれしさを爆発させ、本当に楽しそうだった。

正反対の悪夢を見た選手もいた。五輪と世界選手権で計8個の金メダルを誇る女王ミカエラ・シフリン(米国)だ。最も重要視していた大回転、回転の2種目を、合計たった20秒足らずで競技を終わった。ともに1回目の序盤で、まさかのコースアウト。悪夢でしかなかった。

シフリンが回転、大回転の2種目連続で完走できなかったことは初めてだという。回転で途中棄権した後、シフリンはコース脇で座り込み、頭をひざにつけ、動けなかった。その横を、ライバルたちが滑り降りていく。あまりにも残酷で、悲しい光景だった。

ジャンプ混合団体戦のスーツ規定違反で、高梨沙羅が自身のSNSに、漆黒の画面と謝罪を投稿した。規定違反を自分のミスだと言い、メダルを逃したチームに迷惑をかけたと自分を責めた。自分の競技人生を再考することも言及した。

安易に比較はできない。しかし、アルペンでは、回転女子最下位で完走し喜んでいた李のような選手もいる。逆に、シフリンは、高梨と同様の悪夢を味わったかもしれない。アルペンの残酷さは、旗門不通過だと順位がつかないことだ。

アルペンを取材していた先輩編集者が、常々言っていた。「どんなに遅くても完走したときの喜び。そして、どんなに強くても、順位がつかない厳しさ。それこそがスポーツで、だからこそ楽しくて、おもしろい」。

シフリンは「この15年、スキーや回転を分かっていたと思っていたが、全く違った。最悪の気分」と気落ちした。しかし、謝罪などどこにもない。そして「いつまでも落ち込んでなんかいられない」と、無理矢理にでも前を向いた。

先輩編集者、そしてシフリンのこの言葉を、高梨に贈りたい。

【吉松忠弘】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツ記者コラム「We Love Sports」)