6月に入った。

多くの人が熱くなった週末を経て、ラグビー界の注目は「リーグワン」から「日本代表」へ移るだろう。

5月29日、東京・国立競技場。新リーグ最多3万3604人の観衆に見守られ、16連勝した埼玉パナソニックワイルドナイツ(埼玉)が初代王者に輝いた。

18-12。わずか6点差の熱戦となり、最後まで勝負の行方は分からなかった。

惜しくも敗れたのが東京サントリーサンゴリアス(東京SG)。試合後の記者会見で19年W杯日本代表CTBの中村亮土主将(30)が発した、印象的な言葉があった。

「結果は悔しかったけれど今シーズン、全員で壁を乗り越えながら、チームが生き物のように成長を遂げて、本当に最後、1つになって、このゲームに臨めました。チームを誇りに思うし『キャプテンをやって良かったな』と思いました」

日本人選手が成長する。東京SGにはそんな、受け継がれてきた文化がある。

約3カ月前の2月25日。今春の新加入選手が発表された時のことだった。豪華な顔ぶれを巡り、SNSなどで議論が巻き起こった。

帝京大主将として日本一に導いたプロップ細木康太郎(22)、早大のスター選手だったFB河瀬諒介(22)…。5人全員が各年代の日本代表経験者だった。

批判的な意見も目にする中、先輩として迎える側の19年W杯日本代表SH流大(29)は、オンライン取材時に持論を明かしていた。

「(入団先を)選ぶのは選手。外国人選手が増えてきている中で僕らはしっかりと日本出身選手が育ち、このクラブを引っ張っていく気持ちを持っています」

明大監督として日本一に導いた経験を持ち、現在は採用にも携わる田中澄憲ゼネラルマネジャー(GM、46)は東京SGに興味を持つ学生へ必ずこう尋ねる。

「サンゴリアスで成長し、自分の目標を達成したい気持ちはありますか?」

日本人選手は基本、全員が社員選手として入団する。田中GMはこう続けた。

「プロを否定するつもりはないです。社員でもプロでも、一番大事なのは成長を目指す『プロフェッショナルな意識』です。中には『仕事をしなくていいから…』といった理由でプロを選ぶ選手もいますから…」

今季、主将としてチームを率いた中村亮は社員選手として3年前のW杯日本大会に出場した。翌20年にプロへ転向。田中GMは「28~29歳でプロになるのは逆にリスクがある。それでもW杯を経験し、成長を目指して自ら選ぶ。そういう姿勢が大事だと思います」とうなずいた。成長に貪欲な先輩を後輩は追い、出場機会を得るために追い抜く努力をする。そんな土壌が長年の蓄積で育まれてきた。

5月31日に行われた日本代表メンバー発表。東京SGから代表に5人、代表候補に6人が名を連ねた。特徴的なのは全員が日本の高校、大学を経て、代表へと羽ばたいていた点だった。

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【日本代表】

◆プロップ

垣永真之介(30=東福岡高→早大)

森川由起乙(29=京都成章高→帝京大)

◆SH

斎藤直人(24=神奈川・桐蔭学園高→早大)

流大(29=熊本・荒尾高→帝京大)

◆CTB

中野将伍(24=福岡・東筑高→早大)

【日本代表候補】

◆フッカー

中村駿太(28=神奈川・桐蔭学園高→明大)

堀越康介(26=神奈川・桐蔭学園高→帝京大)

◆ロック

辻雄康(26=神奈川・慶応高→慶大)

◆フランカー

飯野晃司(27=愛知・三好高→帝京大)

◆NO8

テビタ・タタフ(26=東京・目黒学院高→東海大)

◆FB

尾崎晟也(26=京都・伏見工高→帝京大)

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代表発表前日の30日、今季これらの選手と共闘したニュージーランド代表FBダミアン・マッケンジー(27)に、東京SGの仲間の意識について尋ねてみた。

笑顔がトレードマークの世界的スターは、何度もうなずきながら言い切った。

「ニュージーランドでは、ほとんどがプロの選手。(東京SGの仲間は)ラグビーだけじゃなく、ラグビーをしてシャワーを浴びて、スーツに着替えて仕事に行く。その逆もあります。とても切り替えがうまくできていて、素晴らしい」

現在の主力も、来季のポジションは確約されない。

リーグワンになっても受け継がれている精神を、田中GMは冷静に明かした。

「創部以来『仕事も、ラグビーも一流』とこだわり続けてきました。それが脈々と受け継がれる軸。うちの社員選手はお得意先、同僚、上司から応援され、マナーや基本も学ぶ。社員、プロの割合が変わっても、今も約半数が社員選手です。チャレンジ精神を大切にすることは変わりません」

社員も、プロも、共通しているのは「プロフェッショナル精神」。時代が移り変わっても、その根底はきっと崩れない。【松本航】

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは五輪競技やラグビーを中心に取材。21年11月からは東京本社を拠点に活動。18年平昌、22年北京五輪と2大会連続でフィギュアスケート、ショートトラックを担当。19年はラグビーW杯日本大会、21年の東京五輪は札幌開催だったマラソンや競歩などを取材。