1948年に始まった伝統の日本一決定戦、平成最後の舞台で、史上初の「両者反則負け」の審判が下った。

3回戦の佐藤和哉(24=日本製鉄)と熊代佑輔(30=ALSOK)との対決で、両者が積極的に組み合うことがなく組み手争いが続き、延長戦の1分43秒に両者に3回目の指導が与えられ、ともに反則負けとなった。勝者なしで準々決勝進出者はいない結果となった。

佐藤が「悔しいより情けない気持ち。とにかく引き手でどっちが先行するかだった。勇気を出して1つ深い所を取りにいくのができなかった」と肩を落とせば、熊代は「互いによく分かっているので…。周りの人には申し訳ない。なかなか柔道の魅力、投げることを追求できなかった」と反省した。練習で組み合うこともある関係から、手の内を知り尽くしており、互いに慎重な姿勢を変えることができなかった。

大迫審判長は「ルール通りですが、断腸の思い。全日本では初めてになると思う」と説明した。審判が攻めるように促したが、改善が見られなかったという。